気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

窓とシャム猫

はじめに

f:id:neolalu:20180717045917j:plain みなさん、こんにちは。無理に夏の短いセミスターにたくさんの講義を詰め込んで、いまにも泣き出したい ねおらる です。なかなか日本語の文章を書いている時間もなくて、ストレスです。さて、今回は、そんなやつれた僕が窓について考え事をしたので書き下ろしてみました。ほとんどただのポエムです。どうぞ。  

今の窓

あの猫の名前は何というのだろうか。首から胴体にかけては少しくすんだ白色、そして、顔や耳、手足や尻尾の先はこげ茶色をしている。体毛は全体的に短く、すらっと手足が長く、スマートな見た目をしている。僕は猫については無頓着であったので、勝手にペルシャ猫だと思っていた。調べて観ると、ペルシャ猫はもっとずんぐりむっくりとした毛むくじゃらの猫で、正反対であった。その猫はシャム猫だった。こうして、改めて調べてみるまで、僕に判別できた猫は三毛猫と黒猫ぐらいのものだった。朝、たまにシャム猫を見る。目覚めて、カーテンを開き、太陽の日差しを部屋にいれるとき、僕の住むアパートの二階の窓からは眼下に駐車場の屋根が見える。その上に、よくそのシャム猫はこちらに背を向けて丸くなっている。人間もあがってこないであろうそこは、彼にとってはお気に入りのリラックススポットなのだろう。猫は僕にとって、遠い存在だ。猫を飼ったことも、誰かの飼い猫を撫でたこともなかった。野良猫は僕を見れば、そそくさと路地裏へ姿を消した。だから、その窓から見えるシャム猫は、どことなく幻想的で、現実味を感じさせないものだった。ガラス越しに見える、呑気に日向ぼっこしているあのシャム猫は本当に存在しているのだろうか。

実家の窓

確かあれは、小学校4年生くらいだったと思う。初めて自分の部屋をもつことになった。その部屋には大きな窓があった。というよりも、窓側の壁は胸よりも上ぐらいから全てガラス張りで、開放的な部屋だった。僕の部屋は二階で、地元の街並みが見えた。田舎の郊外だったので、ほとんどが平屋の建物で、空は広く伸びていき、遠くの山並みまで見渡すことができた。細い道路を挟んだ向かい側に、ボロボロの平屋の日本家屋がたっていたのをぼんやりと覚えている。土地ごと売りに出されたのか、気づいたらその家は取り壊されて、空き地になっていた。どういうわけか、家を取り壊した空き地には、大きな岩がゴロゴロと積まれていた。それから数年が経ち、地元では少し有名で裕福な父親はその更地を買い取った。ごつごつとした岩が並んでいたそこは、インラインスケートのリンクとなった。パックがご近所に飛んで行かないように、高いネットも敷かれた。それからは、僕はその窓から、ホッケーのシュート練習をする兄をみるようになった。僕の部屋の窓から見える景色は、そうやって移り変わっていった。

寮からの窓 

大学に入学し、僕は学生寮へ入寮することになった。五階建ての新築の学生寮はとても綺麗だった。僕の部屋は、ベッドと勉強机でほとんどが埋まってしまうとても小さな部屋だった。僕の部屋は東向きで目の前には住宅街が広がっており、反対側の棟の窓は西向きで、窓からはコンクリートで囲まれた川が見えた。僕は始め、川沿いの方が涼しそうで羨ましいと思ったが、西向きの棟に住む学生は、蚊がよく入ってくるといって東向きの棟を羨んでいた。学生寮の窓からは、何が見えたのかはあまり覚えていない。きっと、あまり外を覗いていなかったのかもしれない。大学一年生の頃は、ベンチャー企業でバイトをはじめ、サークルを立ち上げてサークル長になり、起業家スクールへ通い、大学の自治会へ入り、毎日大忙しだった。毎日予定があるのがかっこいいと思っていたのかもしれない。窓から景色を眺めるなんて余裕は当時の僕にはなかった。

一人暮らしの窓

大学二年生になり、僕は寮から引っ越して一人暮らしを始めた。家賃の安いボロアパートの四階だった。そこはエレベーターがなく、疲れて帰宅した日や、重たい買い物袋を抱えた日は登るのが億劫だった。窓からは、ごみごみとしたビルが立ち並ぶのが見えた。相変わらず、何かに駆り立てられているように、毎日を生産的にしようと活発でいた僕は、窓から見える景色に気づいていなかった。ある日、遊びに来た友人が、感嘆の声をあげた。カーテンを開けた僕の部屋には、オレンジ色の西日が差し込んでいた。彼は、その窓からの夕日を見て、毎日こんな綺麗なものが見られるなんて羨ましいといった。喜びの声をあげ、スマホで写真をとる都会っ子を尻目に、僕はその夕焼け空を狭く小さく感じていた。田舎育ちの僕にとっては、ビル街の空はとても小さく感じる。夕日から視線を落とすと、その小さな箱庭に閉じ込められたサラリーマンが、夕焼けに照らされながらとぼとぼと牛丼屋に入っていくのが見えた。1Kの小さな部屋から覗く世界は、僕には全てがミニチュアだった。しかし、肉食獣のようにギラギラして、何かを得ることに躍起になり、疲労していた僕には、その小さな景色は確かに綺麗で、どうしようもなく身近に感じ、愛くるしい景色に見えた。

窓と写真

窓と写真は似ている。四角い額縁の中に風景がある。あなたの部屋にはどんな写真が壁に飾ってあるのだろうか。僕は、これまでの人生を通して、幾たびか住む場所を変え、壁に飾る写真が変わった。そこから僕は世界を眺めていたはずだが、もしかしたら外を見ているようで内をみていたのかもしれない。本は、自分を移す鏡だと言う人がいる。読む人、読む時期によって、同じ文章を読んでも感じ方は様々だ。窓から見えるものも同じなのかもしれない。ある人にとっては、陳腐なものでも、ある人にとっては感動すべきものなのかもしれない。そして、その景色とは、もしかしたら、外の情景を移すものではなく、自分の心の内を投影しているのかもしれない。窓は外をみるためにある。ちっぽけな自分だけの空間から、外の世界を見るためにある。夜景を見て、綺麗だと思う心や、夕日をみて美しいと思う情緒、そして、空を見上げるゆとりを忘れたくはない。

最近モテ期が来た件について

はじめに

f:id:neolalu:20180701195958j:plain みなさんどうも、こんにちは。

最近は英語の本を読む課題が多く、日本語の本を読めていなくて辛い ねおらる です。 今回は破茶滅茶にイキった記事を書きます。 ムカつくと思った方はぜひ最後まで読んでください。どうぞ。

モテ期

人は誰でも死ぬまでに三回モテ期が来るらしいです。 そして、僕にはモテ期がきているような気がしています。 (客観的に見たら、そうとうキモいこといってんなこれ。)

ちなみに、僕がモテ男というわけではなく、今までの短い20数年の人生を振り返ってみて、過去と比べて現在は比較的にモテてるというだけの話です。むしろ、イケメンでもなく性格もひねくれているので基本的にモテません。ですが、こんな記事を書いて調子に乗っている僕は、時期に誰にも相手にされなくなるでしょうし、その時の自分への参考にでもなればなと思い考察を残しておきます。

実際何が起きたの?

さて、実際じゃあ、何が起きたんだよという話をしていきます。 私はアメリカ留学中の大学生なのですが、一つ目の実感としては、クラスが同じ女子学生から連絡先を聞かれることが増えました。別にこれだけで、相手が全員僕に惚れていると結論づけるわけではありませんが、魅力度が昔よりもあがった証拠のひとつにはなると思います。また、同時期に三人の女性から付き合いたいという旨をほのめかされました。はっきりと「好きです。つきあってください」とは言われてはいませんが「私だけを見るのじゃあだめなの?」的なことを言われたり、ご飯の時にあーんされたり露骨に好きですアピールをされました。

なぜ、モテ期到来?

こっからが本題ですね。単に僕が、「最近、理由もなくモテてるぜ。ふはは!」って話をするだけでは、ただの痛い自慢話になってしまうので、実際に僕の中で何が変化したのかを述べていきます。

考察1:日本人はきっかけ作りやすい

さきほども述べたように、現在、僕はアメリカの大学へ通っています。クラスメイトは、アメリカ人以外にも多くの国の人たちが同じ教室で学んでいます。留学生が入り乱れる教室では、日本人は人気なように僕は思います。日本の奇抜なファッションスタイルや、美味しい日本料理、何よりも漫画やアニメなどのエンタメの分野では海外でも人気のコンテンツが多くあります。ですので、多くの外国人に、「君日本人?僕ナルト好きだよ!美味しいラーメン屋教えてよ!」みたいな感じで絡まれることが多いです。大げさに言えば、アメリカでは、日本人ってだけで少しモテます。もちろん、それはひとつの要素にすぎないので、モテない日本人もいれば、僕よりも遥かに魅力的な日本人もいるということは、一応補足で述べて起きます。

考察2:笑顔

二つ目の要素としては、笑顔があげられると思います。「僕の笑顔は素敵だ!」ということではありません笑。僕は英語で会話をするときは、笑顔でいることを心がけています。理由は、海外留学をする前に、英会話の本などを読み漁っていると、「欧米では笑顔は相手の敵ではないことを示すマナー」とかいてあったのを覚えているからです。いまだに、英語のおぼつかない僕は初対面の方と口先だけの言語力でやりとりすることができません。だから、まずは笑顔をつくることで、「あなたに心開いてますよー!」ということを必死に顔面から伝えています。結果として「いつも明るい人」という印象がついているのかもしれません。日本人と会話する際は、気取って顔面を石みたいにして話すことも多いので、それは印象が悪いのかもしれません。(今更日本人の友達の前で超ニコニコするのも恥ずかしくてできないけれど笑)

考察3:女性の話をまともに聞かない

三つ目の要素としては、女性の話をまともに聞かないことが大切かもしれないと感じました。日本にいた頃は、僕は人の話をよく覚えていました。ある発言をしたことを二ヶ月も三ヶ月も先まで覚えていて、気持ち悪がられたことも度々あります。女性の愚痴を、彼女の話していること以上に根ほり葉ほり質問して、相手の女性の悩みを解決しようと努力していました。よく聞く話ですが、「会話に、男性は解決を求め、女性は共感を求める」というロジックなのかもしれません。女性は単に聞いて欲しいだけなのに、無用な口出しをしたり話したくない領域まで聞き込みをしていたのは悪い態度だったのかもしれません。それが「誠実」だと、僕は思っていたのですが、そうでもないのかな。(女性じゃないからわからない。) そんな僕がどうして、女性の話をまともに聞かなくなったかと言えば、介する言語が英語だからです。今の僕に、英語で女性の愚痴を論理時に紐解いて、質問をしながら情報を整理してアドバイスをするなんてスキルはありません。自然と、相手のいうことにただ耳を傾けるだけで精一杯になっています。時々は、途中から何をいっているのかわからないこともあります。結果として、相手には「この人は良き理解者」と誤解されているのかもしれません。

考察4:マタイ効果

恋愛とマタイ効果を結びつけて考えてよいのかわかりませんが、相乗効果的な面も一つの要素だと思います。マタイ効果とは(ググった方が良い説明でます)、恵まれた人はより恵まれた機会に会いやすく、その逆も然りという現象です。ある人気者と友達になりたいという人が現れてよりその人気者の人気が上がるということです。「よくよく冷静に考えればそんなにタイプの男性でもないのに、他の女が持っていきそうで思わず告白してしまった。」という感じです。僕は、行為を示してきた女性間に話を漏らしていないので、この例が実際起きているのかは定かではありませんが、一応この件も頭をよぎったので述べて起きます。

考察5:自分の目標がある

五つ目の要素は、目標があることだと思います。僕のモテなかった時期は、ギラギラしていて、異性のことばかり考えていました。「自分のことをずっと見ていてくれる男性が好き!」という女性もいるのかもしれませんが、大抵はそういう男性は面倒臭い印象があります。現在、僕は大学の授業や課題についていくことに精一杯だったり、会いている時間はアイスホッケーや物書き、写真など自分の趣味に費やしたいと思っています。女性の尻ばっかり追いかけている男性よりも、自分の目標を追いかける男性の方が女性には魅力的に映るのかもしれません。

最後に

以上のようなわけで、僕は昔と比べてみればモテています。他人と比べたらモテていません。ちなみに、僕は今も彼女はいません。理由は、僕は追いかけられるよりも追いかけたい派だからです(黙れ)。そして、ここは強くいっておきたいのですが、確かに他者承認欲求はありますが、今の現状が嬉しくてたまらなくてウキウキでこの記事を書いたかというとそうではありません。むしろ、あまり良い心地はしていません。複数の女性に好かれたとして、僕が好きになれるのは1人だけです。だから、本当に幸せなのは、パートナーとお互いが、邪魔されることなく好き同士になれることだと思います。そして、モテ期がきたからといって僕が好きな人に振り向いてもらえるわけでもありません。ですので、「モテ期がきただと、調子乗りやがってリア充が4ねよ。羨ましい。」みたいなご意見はおやめください。以上、イキリ散らした記事を書いたねおらるでした。

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キーワードは「話し過ぎない」こと。

はじめに

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みなさん、こんにちは。 ぼっちでサンタモニカの繁華なエリア、サードストリートプロムナードへ行ってきた ねおらる です。 イカした帽子屋さんがありました!

あ、今回の記事の内容と写真は全く関係ありません笑笑。

今回は高校の恋愛話から得た人生訓です。 どうぞ。

話し過ぎないこと。

言わぬが花。沈黙は金。知らぬが仏。

口は災いの元。

話し過ぎて失敗したことは多々ある。

高校時代の恋愛

高校生の時、好きな子がいた。思春期の不器用で甘酸っぱい恋愛だった。

成績も高く、運動も得意で、文武両道で高校生活を謳歌していた僕は、それなりに魅力的だったようで、女子学生から連絡先を聞かれることもあった。

その中の1人に好きな子がいた。 退屈な授業中に小声でおしゃべりをしたり、朝に一緒に勉強したり、メールで毎日やりとりをした。時々、電話もした。

ある日、授業が終わり、家に帰り、その子へメールを送ったら「私もちょうどあなたにメールをしようとしていた。」と返信がきて、とても嬉しかったのを覚えている。

そんな些細なことで喜んでいた。 僕はぼんやりと彼女も僕のことが好きであると感じ始めた。 もしかしたら、付き合えるかもしれないと思った。 しかし、同時に、僕は不安にもなった。

以前にも話したことであるが、僕は性格を変えようとしていた。

もし、このまま付き合っても「本当の僕」がバレたら、幻滅されてふられてしまうかもしれないと思った。これは僕の悪い癖でもあり、よい面でもあるかもしれないが、先へ先へと考えてしまうことがある。まだ、付き合ってもなく、そもそも告白すらをしてもいないのに、僕は付き合ってからふられることを恐れていた。

僕は不安要素を潰していこうと考えた。つまりは、後から最悪なタイミングでバレてしまうくらいなら、自分から打ち明けてしまおうと思った。自分の弱い面、嫌な面、汚い面を、会うたびに説明するようになった。 そんな戯言を聞くたびに、彼女は優しく「あなたはそんな人じゃないよ。大丈夫だよ」と言ってくれた。 彼女の気持ちには気付くことはなく、自分の弱点をさらけ出すことに夢中だった僕は擁護してくれる彼女の言葉に安心していた。

今思えば、彼女は僕に男らしく告白してほしかったのかもしれない。 とうとう痺れをきらしたのか彼女の方から、「私と付き合いたい?」と聞いてきた。 僕は、もちろんイエスといった。 しかし、そこで彼女は手のひらを返し、断ってきた。 「あなたを傷つけてしまうから、付き合えない」と言ってきた。 どういうことか、詳しく聞きたかったが、彼女は 「私はあなたが、思っているような綺麗な人ではない」としか答えてくれなかった。

三四郎(:夏目漱石)」の中で、与次郎がこう言っている。 「二十前後の同じ年の男女を2人並べてみろ。女の方が万事上手だあね。男はバカにされるばかりだ。」

いつの時代も変わらないのかもしれない。恋愛の鍵を握るのは女性だ。男性は、自分が相手を引っ張っているような気がしているが、男性のリードを握っているのは女性だ。男性はいつも、踊らされている。

彼女は気づいていたのであろう。 僕がどうして、突然、自分の弱い面ばかりを見せるのか。言い訳ばかりを募らせて、保険をかけまくっている僕に、 「私にだって、負の面はある。でも、それを不必要に見せびらかすことはない。」 そう、言いたかったのかもしれない。

格好良いと可愛い

最近、流行ったドラマ、逃げるは恥だが役に立つ、通称、逃げ恥で、ガッキー演じるみくりがこう言っていた。 「可愛いは最強なんです。格好良いの場合、格好悪いところを見ると幻滅するかもしれない。でも可愛いの場合は何をしても可愛い。可愛いの前では服従。全面降伏なんです。」

確かに、格好良い男を演じるのは大変だ。最近は、ダンディな男性がドジっけを見せたりすると、「ギャップ萌え」がして可愛いという女性もいるが、大抵は「こんな人だとは思わなかった。」で一蹴されてしまう。

人には汚点など、きりがないほどあるだろう。そして、ある日それが露呈して、人を失望させてしまうかもしれない。しかし、僕らはそれを自分自身で受け入れていくしかない。相手の気持ちを考えて、自制心をもって生きていかなくてはならない。相手に、自分を押し付けてはいけない。

底を見せないこと

テレビドラマやアニメでもそうだ。 一話で完全に完結してしまったら、次回は観てもらえない。良い切り場を設けて、切り札はとっておくものだ。この人とはまた会いたいと思わせなくてはならない。自分の何かを出し尽くしたら、次の手を用意しなくてはならない。開拓をやめてはならない。それが、できなければ、過去の栄光ばかりを語る老害になりかねない。そんなことを甘酸っぱい青春の恋から学んだわけでした。あれ、思い出話してる??僕って老害?

さいごに

話し過ぎないことが大切だと言いながら、自分の考えを文章に起こしてインターネットに投稿するという矛盾っぷりに我ながら笑ってしまいます笑。

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自分語りが止まらない

はじめに

こんにちは。夏には「暑いのよりも寒い方が好き」で冬には「寒いのよりも暑い方が好き」な ねおらる です。今日は、僕のアップデートの話です。どうぞ。 f:id:neolalu:20180614093112j:plain

僕は面倒くさいやつだ。

小学生ぐらいの頃から、大学生になるまで、僕は面倒くさいやつだとよく言われた。 特に、親しい友人が呆れたように「お前は本当に面倒くさい」といってきたのは今でも、いとも容易に脳内でその息遣いまで再生される。軽いトラウマのようなものかもしれない。そのほかにも、「一緒にいると疲れる」「嫌われもの」「虚言癖」「トラブルメーカー」「うざい」「かまってちゃん」「きまぐれ」「ひねくれもの」など、散々な言われようだった。その特徴は年齢を重ねるに連れて、増長していったような気がする。

2人の兄貴

僕は、アイスホッケーをする、やんちゃな三兄弟の末っ子として育った。物心がつくのが早いか喧嘩を覚えたのが早いか覚えていないほど、負けず嫌いで喧嘩早かった。もし、アイスホッケーがわかりにくかったら、ボクシングの亀田三兄弟を想像してみてほしい。きっと似たようなものだと思う。自分で言うのもなんだが、三兄弟の末っ子は大変だ。外で遊ぶにしてもいつでも兄貴たちに遅れをとる。三兄弟で遊んだときの光景は、ドラえもんジャイアンスネ夫のび太を思い浮かべてもらうとわかりやすい。圧倒的に強いジャイアンスネ夫のび太に完勝をして喜ぶ。そして、腹がたったスネ夫のび太と2人で再び遊んでのび太に完勝して喜ぶ。自分よりも下のいないのび太ドラえもんに泣きつくしかない。もちろん僕の家には猫型ロボットなどいなかった。そんなわけで、僕が否が応でも自己主張をしていくしかなかった。両親に精一杯自分の存在をアピールした。だがしかし、僕がいくら頑張ったところでその多くは両親にとっては兄たちで経験済みのことばかりだった。幼稚園でお父さんお母さんの似顔絵を描いても、壁に飾るそれは三枚目だ。紙粘土の恐竜も、光る泥だんごも、二番煎じ三番煎じだった。アイスホッケーの試合でも、下手くそな僕よりも同じチームのキャプテンの兄に注目が注がれたような気がした。優しい両親だったので、よく褒めてくれたが、彼らにとって僕はやはり3回目の男の子だったのだろう。僕には初めての経験で、それをこれ以上ないくらいに褒めて欲しくても両親たちにとっては3回目で、僕を褒める両親たちの言葉の奥底に「はいはい、またお兄ちゃんたちと同じね」という既視感が潜んでいたような気がする。

妹たちの誕生

そんな僕にもようやく、年下の兄妹が生まれた。しかしながら、僕の下に生まれたのは2人とも女の子だった。僕は兄たちが自分にしたように、弟を遊びで負かしてやりたかったが、妹たちとではかけっこやアイスホッケーはできない。両親たちは初めて生まれた可愛い女の子にメロメロだった。両親たちは、僕がお腹の中にいるときにどういうわけか女の子だと勝手に思い込み、女の子の名前を考えていたらしい。ところが、うまれてきた僕は男の子だった。僕の名前が中性的なのはその潜在意識からきたのかもしれない。妹たちは両親からすれば、待ち望んだ初めての女の子だったのだろう。妹たちの一挙手一投足に新鮮に喜ぶ両親たちをみて、僕の嫉妬心は肥大化し、ますます僕の自己主張は激しくなった。誰かに認めてもらいたくて、誰かに褒めてもらいたかった。

面倒くさいやつ覚醒

そんなわけで、僕は小学生から中学を卒業するまでの9年間、いつでもクラスの中心になろうとした。話し合いがあれば、ずけずけと延々と自分の意見を語り、反対意見を持つものをことごとく論破した。時には、実力行使も辞さなかった。気の弱いクラスメイトは僕にとって格好の餌食だった。休み時間や放課後の度に彼らの机まで突撃し、自分語りを繰り返した。いかに自分が優れているか、いかに自分がすごい人なのかを自慢した。さらには、相手の欠点を指摘し、いかに自分の方が優位にたっているのかをわからせた。授業のときはヨダレを垂らして寝ているか、冗談を言って授業の妨害をしていた。いつでも、話の中心でいないとおさまらず、何人かが輪になって会話をしているのを見つけると割り込んで行って何を話していたのかを細かく聞いた。携帯電話を買ってもらった僕はクラス全員にメールアドレスを渡して全員にしつこくメールを送った。これだけ、かまってちゃんなのにも関わらず僕はきまぐれでもあった。特に当時は朝が弱く、朝に話しかけてきた友人に理由もなく突然どなりつけたりしていた。時にはその反対に朝一番に登校してきて朝から機嫌よく騒いでいることもあった。よく嘘もついた。うざがられ、相手にされなくなった僕は誇張表現や嘘をついて友人の注意を引こうとした。本当は英語がペラペラに話せるとか、ジャニーズの一次審査に通ったことがあるとか(鏡見ろ)すぐバレるような嘘だ。評価をますます貶めているがそのことに気づかない僕の面倒くささは日に日に加速していった。少し関わればその面倒臭さに気づかれて、距離を置かれるため新たな友人をつくった。僕の交友関係は極めて浅く広いものとなった。改めて自分で文章に起こして見てその面倒臭さにあきれ返る。面倒臭いを超えてサイコパスかもしれない。家ではのび太だった僕は、学校ではジャイアンスネ夫の悪い点をかき集めたような人間だった。よく、「辛い経験をした人ほど他人に優しくなれる」などという綺麗事を言う人がいるが、僕はそんなことはないと思う。辛い経験をした人ほど、それを他人にも強要するのだ。乱暴をされた人は乱暴をする。悪口を言われた人は悪口をいうようになる。人間はそこまで強くも賢くもない。

大学での僕

少しだけタイムスリップをしよう。先日、大学のESL(第二外国語としての英語)の授業で教授に「あなたは良い意見を持っているんだからもっとクラスで発信して」と言われた。現在の僕はたまに、相談を愚痴を話される。例えば恋愛の相談とか、就職した友人の上司の愚痴なども聞く。大学の書類のことや、テストの日程などの細かいこともよく聞かれる。数学や英語を教えてといわれて個人レッスンを設けることも多々ある。謙遜無しに言えば、優等生として頼られている。今の僕は、読書をしたり、Macに向かって何かカタカタとやっている物静かな人という印象が強いらしい。毎週アイスホッケーの試合をやっているというとギャップがあるなどと言われた。彼らは小中学生時代の僕を見たら、驚くかもしれない。  成人式や同窓会で、定番のフレーズといえば「変わらないなあ」だと思う。僕も御多分に洩れずその台詞を数人の友達にいった。しかし、僕は一部のごく親しい友人をのぞいてほとんど全員に「かわったね」「落ち着いた」と言われた。中学を卒業しても、僕と連絡を取り続けた友人からすれば本質的なところが変わっていないことを知っているのでどこがそんなに変わったのか疑問に思ったのだろう。「落ち着いた」という表現を使い、「まるくなった」という言葉を使わないところがかつての傍若無人な僕への畏怖の感情のなごりかもしれない。

インターネットの世界へ

 話を中学時代に戻そう。どうして、僕はまるくなったのだろうか。大きな原因はSNSだった。傍若無人で友達のいない僕も、何かが間違っていることはわかっていた。どうにかしたいと思っていた。しかし、人間関係は鏡だ。一度、僕がひどい態度をとってしまったら、相手の信頼を取り戻すことは難しい。気付いた時には僕は現実で正常な友人関係を取り戻すことが困難になっていた。そこで、僕はSNSに人との新たな人とのつながりを求めた。当時中学生の僕は出会い厨になる勇気はなかった。ただただ、会話をしてくれる相手を求めた。自分の話に耳を傾けてくれる誰かが欲しかった。自分の話を聞いて欲しければ、耳を傾けるに値する人間になるように努めるべきであって小手先の話し方や接し方を変えても仕方がないということがその時の僕にはわからなかった。僕は、まったく違う人間になりたかった。思いやりがあって、優しい人望溢れる人が羨ましかった。そこで、僕は正反対の人格を装ってSNSをはじめた。そこでの僕は相手が何を考えているか、何を求めているかを意識し、相手本位で話をするようになった。デリカシーのないことは聞かず、自分のことを話しすぎないようにした。ネット弁慶という言葉がある。現実ではまともな人間なのに、インターネットの世界では高圧的だったり非常識なことを発信する人だ。僕はそれとは正反対だった。現実では傍若無人で、インターネットで真人間なのだ。すると、驚くべきことが起こった。数人の女の子が僕に告白をしてきたのだ。あったこともない、顔も知らない、そんな僕と付き合いたいという女の子が現れた。わがままで自分勝手なくせに臆病者な僕は、実際に会って付き合うという気はさらさら起きなかったが、自分の人間性を認められたような気がして嬉しかった。現実では女の子どころか男友達にも相手にされない僕が、ここでは女の子から告白される。そのことに心が躍っていた。僕の心の拠り所は現実よりもインターネットに偏って行った。インターネットの人間関係が原因で犯罪を犯した事件で、テレビのアナウンサーが「ネットの顔も知らない人との人間関係で犯罪に手を染めるなんて考えられない」といっていたのを覚えている。しかし、当時の僕なら犯人の気持ちがわからないでもなかったかもしれない。現実に希望がなく、インターネットのつながりだけが心の拠り所で、それが壊れてしまったのなら、現実の人間関係に辟易して犯罪に手を染める人と何ら変わりがないと思った。もちろん、現実の問題だろうがインターネットの問題だろうが関係なく、犯罪は許せないということは一応述べておく。(ほらね、真人間でしょ。)  

アップデート開始

現実の僕に転機が訪れたのは中学三年生の時、ネットの世界と現実の世界の介在者の登場だった。わかりやすくいえば、学校の友達に僕のSNSのアカウントを教えたのだ。彼が、僕のネットと現実のギャップをみて、「お前はネットのキャラで現実も生きれば現実でもモテるよ。」といった。そこで、僕は現実の僕を押し殺し、ネットの僕を現実に拡張することにした。流石に中学三年生で突然、真逆のイメチェンを行うことは無謀で会ったので、その試みは高校に入ってから行うことにした。運よくか悪くか、僕の進学した高校に同じ中学の知り合いはほとんどいなかった。性格を変えることは困難を極めた。表面上取り付くろうだけでも、僕には難しかった。それほどまでに、ネットと現実の僕は乖離した別の人間だった。一種の多重人格だったのかもしれない。理想のネットと、そして現実の僕。何度も失敗を繰り返し、あまり良い人間関係を気づくことは高校でも叶わなかった。だが、僕は今でもネットの理想の僕を現実にインストールしつづけているような気がする。バージョンアップを続けるうちに、僕は少しずつ変わっていたようだ。その積み重ねとある日突然、相まみれることとなった小中学の同級生からすると僕は確かに「変わった」のかもしれない。

面倒くさいやつに救われた人?

ここまでの話だけを読めば、僕はあたかも人間のクズでいいところなんて一つもないかのように思われる。しかし、数年前、久しぶりにあった友人の何人かに学生時代にあなたに救われたといわれた。「あなたにいじめられて、あなたを今でも恨んでる」と言われたらぎくりとしてしまうが、救われたというのはまったく身に覚えがなかった。彼女によれば、スクールカーストの蚊帳の外にいたあなたの行動で何度も胸がすっとしたとのことだった。最近では、スクールカーストという言葉はすっかり定着した。一応軽く説明すれば、ざっくり言って、クラスの人気者つまりはルックスの良い人たちまたは運動部のスターたちが上位で、オタクや不細工は下位ということだ。「Know your place」つまりは、「自分の身分をわきまえて発言や行動をしろ。さもなければいじめてやるぞ」ということだ。僕はこの概念を最近知った。学生時代の僕には上も下もなかった。みんな横並びだった。僕は、勉強ができようが、スポーツができようが、見た目がよかろうが、上とも下とも思わなかった。僕には相手は関係なかった。ただ、自分だけがそこにあった。そんな僕は、スクールカーストの上(だと思い込んでいる)の人たちにも、同様に面倒くさい絡みをした。スクールカーストの下(と思い込んでいる)の人たちにとっては、評判など元から地の底で何も恐れず誰も彼も構わずストレートにぶつかった僕の行動が、現実の複雑な悩みを何もかも吹き飛ばしてくれたように感じたらしい。

今の僕

同窓会のために、担任に電話をかけた。まともに敬語で話す僕に、担任は「おいおい、なにまともになっちゃってんだよ。お前だけは、しっかりしてくれよ。」といっていた。僕は確かに、うっかりしてつまらない大人になってしまったのかもしれない。僕は、クズから少しずつ昇華して、まともな人間になったつもりだった。しかし、どうやらそうではないらしい。素直で生意気なクソガキから、うっかりつまらないまともな大人になってしまったらしい。今、僕は、子供時代を取り戻そうとしている。しかし、僕の根幹的な個性、オペレーティングシステムはずっと変わっていないのだ。VistaをいくらアップデートしてもイラつくOSに変わりないのと同じように、僕の根幹は面倒くさいやつだ。自己主張が激しく、自分語りが止まらない。それが、口で話すか、文字で書き連ねるかの違いになったぐらいのものだ。さて、明日はどんな話を書こうか。

アメリカで僕がNintendo Switchをやらなくなったワケ

はじめに

f:id:neolalu:20180609164416j:plain こんにちは、もうすぐ春学期が終わりウキウキのロサンゼルス在住の大学生 ねおらる です。

今日は、まったく読み手を意識していない文章をかいてみようと思う。

バズる気ゼロというか、知らない人に読んでもらう気のないような文章を書きたいと思う。

僕のように読者の少ない(今読んでくれている貴重な読者さんありがとう!)ブログは、少しでも読者を増やすために誰にでも読みやすい記事を書くのがセオリーということは重々承知だが、今回はただつらつらとおもったことを語ろうと思う。こんな記事、よほど僕の一挙手一投足に興味のある人しか読まないのではないだろうか。

さて、自虐と読者を辱めるのもほどほどに今日は僕の「ゲーム感」について語ろうと思う。

ゲームしてますか?

みなさんはゲームをするだろうか。大小あれ、多くの人がプレイするのではないかと思う。それはスマホアプリのパズドラやツムツムかもしれないし、Nintendo SwitchやPlay Station4 などのコンシューマーゲームかもしれないし、ゲームセンターでの太鼓の達人やユビートなどの音ゲーかもしれないし、パソコンでやるオンラインゲームかもしれない。

枚挙にいとまがないので例を挙げるのはこれくらいにするが、僕は昔からかなりのゲーマーだ。いや、正確にはかなりのゲーマーだった。小・中学生の頃などは寝食を忘れてゲームをプレイしていたので、宿題もやらず授業も体育以外は眠りこけて落ちこぼれの生徒だった。そのくせ、休み時間になるとゲーム友達と大きな声で語り合っていた。当時は学校で一番勉強していなかった自信がある。

ゲーマーねおらるアメリカへ。

そうこうして、すっかり大人になった僕は、昨年の2017年の夏に、アメリカ留学のために日本を離れようとしていた。荷造りの際に、せっかくの留学中にゲームにばかり時間を割くのはもったいがないと思い、一番のお気に入りのブルーの3DSLLとたくさんのソフトを残し、買いたてのNintendo Switchだけを抱えて日本を経った。

なんでNintendo Switchだけ持って行ったの?

スイッチだけをもっていった理由は、Switchはその製品の特性上、持ち運び可能で外でも気軽に友人とプレイできるようなソフトが多いためアメリカでの友人との親睦を深めたり、新たな友人作りの役に立つのではないかと思ったためである。Switchのソフトのポッ拳のCMでは、バックパッカーが海外の道端でSwitchをプレイして、それに興味をもった通りがかりの子供とその場で遊ぶといった微笑ましい様子がみれた。そのCMにも多少の感化を受け、そういった出会いを期待して僕はリュックにSwitchを詰めた。

アメリカ生活とNintendo Switch

実際、ホームステイ先の5歳の女の子と一緒にスニッパーズというゲームをプレイし、彼女は大喜びしていた。アメリカに到着したてて英語での会話のままならなかった僕をいくらか助けてくれたように思う。日本人学生とルームシェアを始めた今では、彼らとの距離も同じくSwitchのポッ拳やTroll and I というゲームで縮まったような気がする。しかし、アメリカにきて日本人と日本製のゲームをしているのでは本末転倒なので最近では控えるようにしている。

ゲームで友達できた?

しかしながら、一番の目的であった、外でプレイして新たな友人を作るというのは実行ができないでいる。理由は単純だ。恥ずかしいからだ。僕にはCMのようにNintendo Switchを表に出て1人でプレイするのが堪らなく滑稽に思えてならない。大学のキャンパスの中庭で、Switchを縁石の上においてプレイしている自分を想像しただけで、我ながら激しくツッコミをいれてやりたくなる。「Play it home, NERD!」という声が聞こえて来そうだ。自意識過剰な僕だから感じることなのかもしれないが、外で携帯ゲームをプレイするのはすごくオタクチックで気持ち悪いような印象があってできない。これは携帯ゲームに限った話だ。スマホゲームをプレイしているのを見てもなんとも思わない。そのため、せっかく持ち運び可能なNintendo Switchは僕の部屋でいつも鎮座している。よくよく考えてみれば、バックパッカーNintendo Switchを片手に海外放浪をしているのもなんだかおかしな話だ。せっかく海外にいったのだからゲームじゃなくてカメラでも抱えていなくてはならないはずだ。こういう「実際に買ってみて気づく」ということは、奥様方が雑誌で海外モデルの着こなした洋服を注文して自宅の鏡の前で冷静になるという現象に似ているような気がする。

ゲームへの世間からの印象

そんなわけで、僕はあまりゲームをしなくなった。量がゼロになったわけではないが、ともにやる相手がいないのだ。初対面の人に、数ある趣味の中から初めにゲームをチョイスして紹介することは僕にはハードルが高い。考えてもみてほしい。初めてあった人物が開口一番「ゲームが好き!」といってきたら少なからず偏見をもたないだろうか。世間のそういった偏見の目を批判したいわけではないが、自意識過剰な僕にはそれはできないのだ。加えて、正直に言っていまの僕にはゲームは一番の趣味ではない。読書や物書きの方が今の僕には優先順位の高い趣味だ。これらの趣味は心と体のエネルギーを使うため、気楽にできるゲームも捨てがたい趣味ではあるが表にガンガンにアピールしたい趣味といったわけでもない。しかしながら、年甲斐もなくゲームの趣味を友人知人またはSNSなどに晒け出し、果ては実況動画などまで投稿して、世間の目を憚らずゲームを全力で楽しんでいる人たちをうらやましく思うこともある。まるで、小中学生の頃の自分をみているようで懐かしく、戻りたくなるような気持ちにもなる。

そういえば...?

そして、ふと気づく。僕が小学生の頃、際限なくゲームをプレイする僕に怒り心頭の母親に、父親がよく諭すように言っていた。

「大人になれば、ゲームもやらなくなるよ。」

当時の僕は「バカだな。」と思っていた。こんなに楽しいものを止めるわけがない。むしろ、大人になっても働かず不労所得を得ながらゲームばかりしていたいと、本気でそう思っていた。思えば、ゲーム実況者やYoutuberは僕の子供の頃の夢の体現者かもしれない。もし、タイムマシーンがあったら僕は子供の頃の僕に彼らの動画をみせに行ってみたい。僕はなんというだろうか。「いいな!僕もそうなりたい!」と憧れを抱くのか、それとも冷静になるのだろうか。

最後に

読者の皆さんは、ゲームについて、もっと言えば、「ゲームをプレイしている人」について、どう思うだろうか。やはり、子供っぽい、オタクっぽいというあまりよくない印象だろうか。ぜひ、意見をきかせてほしい。そして、教えてほしい。もし、僕がNintendo Switchをキャンパスでプレイしていたらどう思うか。

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SNSで誕生日を非公開にしてみた結果《バースデーブルー》

はじめに SNSと誕生日

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みなさん、こんにちは。最近、料理中に油がはねて火傷して少し落ち込んでる ねおらる です。

ところで、この記事を現在、読んでいる誕生日の読者の方、おめでとうございます! そうでない方もついでにおめでとうございます。

今回はデジタル世代の誕生日事情について考察と意見陳述をしてみたいと思います。

皆さんは、 Twitter、LINE、Facebookの誕生日の設定はしているでしょうか? FacebookとLINEだと友人のタイムラインに誕生日に通知され、Twitterだとプロフィールで風船が飛んでお祝いしてくれますね。

バースデーブルーについて

f:id:neolalu:20180526124411j:plain バースデーブルーという単語を聞いたことがありますか?

これは、誕生日の前後に気分が沈んでしまう現象のことらしいです。一般的には、誕生日はプレゼントをもらえたり、友達から祝ってもらえたりと幸せそうなイメージがありますが、その期間にどうしてブルーになってしまうのでしょうか。

元ソースにオンラインでアクセスができなかったのでリンクはありませんが、大阪大学の准教授、松林哲也氏の研究によれば誕生日に自殺する人の割合は通常の1.5倍となっているそうです。自殺者の数も驚きですが、自殺までは至らなくてもバースデーブルーになっている人はそれ以上にいてもおかしくありませんね。

バースデーブルーの要因

f:id:neolalu:20180526124829j:plain 若い世代がブルーに陥る原因のひとつとしては、他者との比較があるのではないでしょうか。最近は、TwitterFacebookで誕生日の自動告知に反応してお祝いする人は多いです。直接会うことのできない友人がおめでとうメッセージを送っているのをよく見かけますね。人付き合いの多い人や人望の厚い人ほど、たくさんの人からお祝いメッセージをもらっている印象です。そんな人と、自分の空白の誕生日のメッセージ欄を比較してブルーに陥ってしまうのかもしれません。そこまででなくとも、インスタグラムに盛大に祝ってもらった誕生日会の幸せそうな様子を投稿いているのをみてしまったりしたら、あの人は祝ってもらっているけれども、私にはそんな風に祝ってもらえる人もいないと思って悲しくなってしまうかもしれません。もうひとつの要因としては"期待"があると思います。誕生日は盛大に祝ってもらえると思っていたら、そうでもなかった。といった理想と現実の差に悲しくなってしまうということです。

個人的な話

僕にはそんな気持ちがわからなくないです。なぜなら、僕はひねくれ者で、人望がないのであまりおめでとうメッセージはきません。しかし、僕にも少なからずメッセージを送ってくれる人はいます。なぜなら、さきほど言った通りFacebookTwitter、LINEが通知を放つからです。それに便乗しておめでとうメッセージを送ってくれる人は少なくありません。しかし、捻くれ者の僕はあまり素直に喜ぶことができません。こんなことを言ったら二度と祝ってもらえなくなりそうですが、 SNSの通知に反応してお祝いメッセージを送ってくる人の多くはそこまで仲の良い人ではないです。僕には裏があるように思えてなりません。自分の誕生日を祝ってもらいたいからなんじゃないかとか、"良い人"になりたいからじゃないかとか。

各種SNSの誕生日の設定を非公開にしてみた

ふと、思い立って今年はFacebook、LINE、Twitterの誕生日の設定を全てOFFにしてみました。例年では体感で、大体Facebookで5〜6人、Twitterで4〜5人、LINEで10人ぐらいからおめでとうメッセージを受けとっていました。合わせて平均20件ぐらいだと思います。現実で祝ってくれた人は、年によって変動しますが、去年は3人でした。こういうと、多く感じるかもしれませんね。

非公開の年に来たお祝いメッセージ数

Facebookが0人、LINEが9人、Twitterが1人でした。現実って厳しいですね。約半分という結果となりました。言い換えれば、半分は僕の誕生日を覚えていてくれて、もう半分はあくまでSNSの通知をみて「あ、きょう誕生日なんだー。メッセージおくろー。」ということですね。ちなみに、LINEもツイッターもタイムラインではなく僕に向けて直接か、グループラインで送られて来たものなので、第三者視点からすると僕は誰にもお祝いメッセージをもらっていないように見えます。断っておきたいのですが、僕は「ほらな。お前らなんてSNSの通知みて送って来ているだけで僕のことを本当に祝う気持ちなんでないんだ!」と言いたいのではありません。もちろんありがたいです。たとえ数字を覚えていなくても、誕生日ということがわかったら祝福をしてくれる。誠にありがたいですし、嬉しいですし、それが一番大切なことだと思います。知らないものは祝いようがないですから。ここでのポイントは第三者に見えないLINEのお祝いメッセージは減少せず、お祝いメッセージを送ったことが第三者にもわかるTwitterFacebookが明らかに減少したことだと思います。このことから、僕のさきほどの「"良い人"になりたいからじゃないか」という直感的な猜疑心の理由が考えられます。

バースデーブルーがちな方へ

しかし、僕が意見を伝えたい相手は僕にメッセージを送ってくれた人ではなく、SNSで他者と比べてバースデーブルーに陥っている方です。僕が言いたいのは、SNSなんてそんなもんだということです。たくさんの人からメッセージをもらって幸せそうに見える人も、そのメッセージの大半は「あ、今日誕生日なんだ」程度で送っているので、他者と比較して、落ち込む必要はないということです。

狭く深く生きよう

そんなわけで、僕は誕生日をお祝いすることには前向きですが、積極的に誕生日をお祝いされるように動くことには後ろ向きです。他者と比較して落ち込むぐらいなら、「誰にも祝われなかったけど、みんな僕の誕生日知らないんだから仕方ない」と割り切った方が気持ちが楽です。バースデーブルーになちがちな人は思い切って誕生日を非公開にしてみてはいかがでしょうか。誕生日を非公開にしても、僕の誕生日を覚えていてくれた人がいたことに本当に感謝します。それらのメッセージは素直に嬉しかったです。

最後に

よく「矢は一本では折れてしまうが3本では折れない」などといいますが、反対に、人付き合いで一番大切なのは"数"ではなく"気持ち"なのではないでしょうか。人を救うのは、何本もの細い矢ではなく、一本のまっすぐな矢なのかもしれません。SNSは、まだまだ気持ちを伝えるには不完全なものだと僕は思います。そして、その不完全さを埋めるのは人間の思いやりだと思います。数字や数に惑わされず、カラッと晴れた強い心で生きていきたいですね。

おまけ

各企業が僕の誕生日を祝ってくれました笑 f:id:neolalu:20180526134240p:plain f:id:neolalu:20180526134329p:plain f:id:neolalu:20180526134343p:plain

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LINEアイコン人気ランキング(300人)を調査してみた。あなたのアイコンは何位かな?

みなさん、こんにちは。アメリカに行けば人生が変わると思っちゃってる ねおらる です。

LINEのアイコンの設定って迷いますよね。よっぽどのイケメンや美女じゃない限り、自分の顔写真をアップで設定は気が引けますし、かといってネタに走っても寒いですし、「ぶっほwwwこいつのアイコンあるあるすぎだろwww」とも思われたくないですし。そんなに考えすぎるの僕だけですかね。

というわけで、そもそもどんなアイコンが人気なのか調べて、ランキング形式にしてみました。

ちなみに私は20代前半なので、友人は18~25才ぐらいが多いです。どうぞ。

人気のLINEアイコンランキング トップ20

20位.恋人との写真 (2.1%)

f:id:neolalu:20180516071707j:plain いきなりこれかよ。って感じの写真ですね。設定していたのは全員男性でした。そして、ツーショットを載せるのは気がひけるのか、彼女の顔はトリミングで隠してあったり、手を組んでいる写真だったりと、正直痛々しいなと思いました。そして、大体が、一言欄にも愛のメッセージが。。。頼むから個人ラインでやってください。これを設定しているのはおおよそが、中学高校では彼女できなくて大学で初めてできた彼女に舞い上がちゃったんだろうなという感じの方達。恋人との写真を設定している人が読んでいたらごめんなさい。

19位.似顔絵 (2.4%)

f:id:neolalu:20180516072544j:plain 意外と多かったのが、似顔絵。大体は授業の合間に適当にノートに書いた、またはホワイトボードや黒板に誰かに書いてもらったんだろうなというものを撮影したもの。結構似ているものが多い。だからこそ本人も気に入って設定しているんだろうけど。

18位.有名人、芸能人の写真 (2.8%)

f:id:neolalu:20180516072700j:plain 正直ちょっと困るけど多いのがこの手の写真。好きなアイドルや、サッカー選手などの写真にしてある。僕的には、「いや、お前誰だよ」と思ってしまう。

17位.未設定 (3.1%)

f:id:neolalu:20180516074706j:plain

アイコンで悩むのは嫌だからもう設定しなくていいやという世捨て人たち。逆に潔いよね。

15位(同率).ぬいぐるみの写真 (3.5%)

f:id:neolalu:20180516074812j:plain リラックマとか謎のうさぎの写真、あとミニオンとTedも人気でした。

15位(同率).街中でお出かけ中の一枚 (3.5%)

f:id:neolalu:20180516074948j:plain 街中でふとした時にとったといった写真。インスタに投稿しても良さそうな、おしゃれな洋服をきている人が多い。おしゃれ人てきには街中の何気ない風景がお好みのようだ。イケメンと美人が設定していることが多いです。

13位(同率).美味しそうな食べ物との一枚 (3.8%)

f:id:neolalu:20180516075416j:plain 珍しい食べ物に釘付けの写真や、美味しそうに食べる写真。食いしん坊感が出ていて可愛らしい。

13位(同率).自慢の乗り物との一枚 (3.8%)

f:id:neolalu:20180516075705j:plain オートバイと一緒に写っているものが一番多かったです。走ってる所のものや、実際に乗っている所の写真など。いまどきバイクって少しレトロだよね。

12位.ただの風景写真 (4.2%)

f:id:neolalu:20180516075907j:plain 本人が写ってないパターン。正直面白くはない。

10位(同率).建造物の前で (4.2%)

f:id:neolalu:20180516080314j:plain 海外に行った時に記念にとったという感じのものが多い。世界文化遺産の建造物をバックに嬉しそうな顔をしている人が多い。

10位(同率).壁画、映画のポスターの前で (4.2%)

f:id:neolalu:20180516080716j:plain 映画の帰りに取ったぽい、アメコミのヒーローと一緒にポーズを決めていたり、翼の書いてある壁の前でドヤ顔していたりする。アメリカでも壁前はインスタに投稿用の写真スポットとして大人気です。

9位.動物の写真 (4.5%)

f:id:neolalu:20180516081113j:plain ネットで拾ったっぽい可愛い画像や、動物園で自分で撮影したもの、または野良猫の写真などが多い。

8位.ペットの写真 (5.6%)

f:id:neolalu:20180516081212j:plain 自慢のペットの写真。一緒に写り込んで嬉しそうな顔をしているものも多い。圧倒的に犬が多い。愛犬家はアイコンもワンチャンだ。ちなみに9位の動物とペットを同じ括りににすると1位をこします。動物好きな友達多いなあ。

7位.スポーツやアクティビティをする所 (6.3%)

f:id:neolalu:20180516081323j:plain サッカー、バスケ、アイスホッケー(これは僕の部活の影響)が多い。それからスノボをしている写真も多かった。この調査を行ったのは5月なので、冬場にはもっと増えそうだ。

6位.自然や緑とのふれあい (6.6%)

f:id:neolalu:20180516081431j:plain 草原の中で寝転がった人や、森で木に触れる人、コテージのような場所で涼しそうな服を着てをして決めポーズをしてる人などが多い。優しそうな印象になりますね。

5位.本人メインの写真 (8.3%)

f:id:neolalu:20180516081655j:plain 背景が白飛びしていたり、一眼で撮影した自分にだけピントのあった写真など明らかに本人を強調した写真。ごまかしが効かないので、ルックスの良い人が多い。

4位.友人との写真 (8.7%)

f:id:neolalu:20180516081840j:plain 友達とツーショットで自撮り、夕日をバックにシルエットだけの写真、川辺でジャケ写風のもの、ネタ写真など。仲の良さがひしひしと伝わってくるものが多い。

2位(同率).漫画やアニメのキャラクター (9.4%)

f:id:neolalu:20180516082449j:plain アニメ流行ってるもんね。わからなくもない。ドキンちゃんのアイコンで「みのり」ってだけ書いてある人がいました。いや、お前は「みのり」じゃねえよドキンちゃんだよと突っ込みたくなりました。正直だれなのかわかりません。

2位(同率).海 (9.4%)

f:id:neolalu:20180516081944j:plain でたーーーー!!これでしょ!LINEアイコンあるある!殿堂入り作品! 集計中の体感では一番多く感じました。綺麗な海でこっち向いて笑顔 or 背中越しの海の黄金パターン。30人ぐらいの人がこのアイコンでした。スクショとって並べてみたいと少し思ってしまいました笑。

1位.青空 (9.7%)

f:id:neolalu:20180516082057j:plain 一位は空でした。とはいっても、2位の海にも空は映るし、お出かけすれば空は映るので多いのも必然かもしれませんね。今回は少しでも空が写っていればではなく、綺麗な青空が映えているもののみをカウントしました。それでもこの多さはすごいですね。人間はいつになっても空と宇宙に憧れるのかもしれません。

その他の情報

その他の調べてみて気になった情報をまとめました。

本人が写ったアイコン:57%

ちなみに、その人の顔を認識できる写真を設定している人は35%でした。

逆に珍しかったアイコン

  • レントゲン写真

  • コンクリートの写真

  • 水道の写真

あるあるだと思ってたけど意外と少なかったもの

  • 夜景

  • 手だけ(ピースとか)

  • ディズニー

  • プリクラ

  • 自撮り

まとめ

いかがだったでしょうか。また、違う世代の人が集計すると結果は変わってくるのかもしれませんね。今度はアイコンではなく、人気のLINEのトップ画を調べてみても面白いかもしれませんね。本日はこのへんで。からかうような発言が多かったかと思いますが、冗談ですし、僕もこの中のひとつのアイコンをしていることもあるので、ご了承願います。

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アメリカ留学でアパート契約に苦労した話

アメリカでのアパート契約は大変

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こんにちは。アメリカの大学に留学中の ねおらる です。最近は、シリアスというか真面目に語る記事が多かったので、少し息抜き的なことも書いておこうと思います。

 

留学を考えてる方への参考に。

 

そして

留学なんて自分探しに勤しんじゃって大変だなこいつ

と思っている賢明に日本に止まる方々の笑い話になればなと。どうぞ。

 

 

留学エージェントとのやりとり

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僕は今回の留学のために留学エージェントと契約している。ビザの申請や、飛行機の手配、留学先へ入学願書などの作成を手伝ってもらい本当に助かった。僕は寮ではなくアパートに住みたかったので、アパートの契約が可能かということをエージェントに聞いてみたところ「まあ、大丈夫じゃないですか。」とぼんやりとした返答をされた。多分、僕の担当の人も現地でアパート契約したことがあるわけじゃないから、保証ができないので「ケースバイケース」「不可能ではない」といった曖昧な表現を繰り返していた。僕としても「でも、まあなんとかなるだろ」という思いでこの時はいた。 

 

いざ、アメリカへ出発

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僕は秋入学(9月に新学期スタート)でアメリカの大学へ入学。英語力に不安を感じる人や、条件付き入学の人たちは語学学校のような場所に5、6月ぐらいから入学してそこを卒業して大学へ入る人もいる。僕は語学学校へ入ることなく、直接大学へ入ることになった。その場合、入学日の二ヶ月前に入国の許可がおりるので僕は7月ごろにアメリカへ飛び立った。

 

フィリピン人のホストファミリーとの生活

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留学エージェントを通して、最初の一月はホームステイ先を契約しておいてもらったのでまずはフィリピン人のおじいちゃん、おばあちゃんそしてその孫の高校生の男の子、小学生の女の子の4人と一緒に暮らし始めました。そこの女の子が絶対将来美人になるだろうなという可愛い子だったので、毎日きゃぴきゃぴ絡んでくるのが愛らしかった。(画像はイメージです。笑)エージェントの説明も曖昧で、アパート契約の方法はさっぱりわからなかったのでとりあえず、ホストのおじいちゃんにやり方を聞いてみると、「じゃあ、今度一緒に探しに行こうか」と優しい一言をかけてくれた。

 

不動産屋さんがない??

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日本だと、アパートをみつけたければ不動産へ言って「えーとねー、1Kでー、駅から五分でー、日当たりがよくてー、コンビニ近くでー、家賃が6万円代がいいなー。みつけてちょ!てへぺろ!」とか言っておけば不動産屋さんが一生懸命さがして内見の案内などをしてくれるが、アメリカには基本的にそういうサービスはないことが、ホストのおじいちゃんの話やネットで調べることによって判明。「ま、まじかよ。不動産屋さんがあったとしても僕の英語力で通じるかもわからないのに...。エージェントめ、安請け合いしやがって。」と八つ当たりをかました。

 

とりあえず足で探す

「じゃあ、どうやってアパート契約するの?」と聞いてみると、アメリカではアパートの前に"For Rent"って看板が書いてあるので、その看板に書いてある管理人へ電話をして自分で内見の予約を入れるのが一般的なスタイルだと言われた。そこで、僕は大学近くのエリアを歩き回って、看板を探す旅へ。

 

アメリカの広さにビビる

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僕の住むエリアは繁華街のダウンタウンからは少し離れた郊外の落ち着いた雰囲気の住宅街で、家ごとの立ち並ぶ間隔が日本と比べるとめちゃくちゃ広いです。家も庭ありの平屋が、京都のように碁盤状に綺麗に立ち並んでいます。とっても空が広く感じます。つまりは、道が果てしない。そして、夏まっさかりで西海岸の日差しはやばい。色白が取り柄(?)の僕も腕や顔が真っ赤に日焼けしました。

 

ドキドキの初電話

そんなこんなで、文字通り汗水垂らして足で集めた情報で何件か管理人に電話をすることに。すると、ほとんどの番号が自動受付で、ざっくり翻訳すれば「名前と電話番号を留守番電話に録音してね。こっちから折り返します。」といった内容。僕は慣れない英語で自分の番号と名前を録音しました。しかし、一向に折り返してくれる気配がない。あとでわかったのですが、僕はこの時はソフトバンクのアメリカ放題で通話をしていたので、見慣れない海外の番号とカタコトの英語に警戒されて、折り返してもらえなかったみたいです。(その後も何かと不都合に感じたので、留学生は早く現地のスマホを契約した方が良いです。)

 

インターネット使えばええやん

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その後、インターネットでアパート情報が検索できるサイトをみつけて、それをもとに再び何件かの候補をみつけました。そして、気が付いたのですが、家賃が異様に高い。1Kの家賃が平均でも1200ドル(現在レートで14万円)ぐらい。「たっ、高すぎる...。あほかよアメリカ。」アメリカでほとんどの人がシェアハウスする理由はこの異常な家賃が原因なことがわかりました。

 

ともかく電話かけまくりじゃ!

それでも、ともかくは何処かと契約をしなければ、一ヶ月しかタイムリミットがない(ホストファミリーとの契約期間)ので何十件も電話をしました。看板と同じパターンの自動受付だったり、間違った番号が記載されていたり(Wrong Number!って怒鳴られた)、スペイン語(?)を話されてさっぱりわからなかったり、もう埋まった(本当かよ?)と断られたり、ほとんどはまともにとりあってもらえなかったけれどそれでも何件かは内見の予約に漕ぎ着けることができました。

 

初めての内見

向こうの指定された時刻に内見に行ってみると、そこには誰もいない。二階建てのアパートの前でポツンと立ち尽くしていると、住民が怪しい人をみる目で通り過ぎていく。まあ、たしかに見慣れない外国人が自分のアパートの前で突っ立ってたら怪しむよね。30分ほど立っても音沙汰がないので、再び電話をかけてみると「部屋は空いているから勝手に見ろ」とのこと。「まじかよ、不用心だな」と思いながらも、言われた部屋番号のドアの取っ手をひねると、ガチャリとドアが開いた。がらんどうとした部屋の真ん中から吊るされたシーリングファンがゆっくりと回っていた。誰もいなかったので、勝手に部屋の中をみて回った。内装も綺麗で立地も悪くなかったので、もう一度マネージャーに電話をかけて住みたい旨を伝えた。

 

Co-signerってなんだ?

マネージャーから、申し込みフォームのURLが送られてきたので、さっそく入力してみると全然埋まらない。ソーシャルセキュリティナンバー(社会保障番号)や、今まで住んでいた住所、運転免許証の情報などが必須情報となる。僕にはどれもないものなので、もう一度電話をかけて、留学生だからそのアプリケーションフォームを埋められないと伝えるとそれでは契約は厳しいと言われた。この調子で、この後何件も内見へ向かったがどれも、契約の段となると留学生では難しいと言われた。どこへいっても、契約をしたければCo-signerを連れてこいと言われた。Co-signerとは連帯保証人のようなもので、よほどの近しいなかでなければならない。もちろん、ホストファミリーやエージェントがなってくれるものでもない。アメリカではまだ友達もいないし(いたところでなってくれるものではないが)、手詰まり。初めは優しく「手伝う」と言ってくれていたホストファミリーだが、実際は仕事が忙しいようでそれどころではなかった。車もないので、現地で買ったスケボーで街中を走り回り、内見に回っていたので身体的にも精神的にも疲れ切っていた。

 

イムリミットを切る

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そうこうしているうちに、一ヶ月がたってしまった。ホームステイファミリーとの契約期間が切れる。そこで、エージェントに現状を伝えて、新しいホストファミリーを手配してもらえないか依頼したところ、「急な話なので、おそらくすぐにはできない。早くとも一ヶ月後ほどになる。」と言われた。なんでやねん!おそすぎやろ。「その間どうしたらいいんだ」と聞いてみると、「Air bnbかモーテルにでも泊まれ」とのこと。まじかよ。ホテル住まいの大学生がどこにいるんだよと思いつつ、アメリカに少なくないというホームレス大学生の話を思い出した。僕も近しいような状況になっちまったと思って、途方にくれた。ホストファミリーに延長できないかと聞くと、次の予約が入っているから厳しいと断られた。

 

突然のキャンセル話

モーテル(格安ホテルみたいなもの)の予約をして、いよいよホテル暮らしとなると思った時に、今のホストファミリーの次の予約がキャンセルになったらしい。なんでも、アメリカに来て突然ホームシックになって帰った日本人留学生がいて、そのホストファミリーがうちのホストファミリーに入る予定だった留学生を迎え入れてしまったらしい。そういうわけで、ホームシックで帰国しちゃう日本人のおかげで同じくホームシックになりかけの僕はホテル暮らしをギリギリ免れることに成功。

 

 

優しいおばあちゃんに出会う

アメリカに来て間もない英語もまともに話せない留学生が一ヶ月でアパート契約なんてできるもんじゃないことが身にしみてわかった僕は、二ヶ月間の延長を申し出た。この二ヶ月の間に絶対アパートに入居してやるぞと思って家探しを再開した。そして、また内見と電話をしまくっていて気づいたのだがやはりCo-signerや社会保障番号がないとのことで断られる日々。ある日の内見で、レジデンスマネージャーのおばあちゃんにであった。優しいおばあちゃんで、詳しくアパート契約について教えてくれた。おばあちゃんの話をまとめると、アパートのオーナーが内見にくる入居希望者の対応はするが、契約はプロパティマネージャー(不動産会社)と行い、プロパティマネージャーは大きな会社だから規約が細かくあり、そこに留学生はCo-signerが必要となっているから契約ができないと言われた。つまりはいくら内見や電話をしても、特定の不動産会社の管理下にある住宅には住めないということだ。おばあちゃんは優しく説明してくれて、「あなたは人柄が良いし、大切に育てられたのがわかるから、ぜひうちにいれてあげたいけれど不動産会社との契約上いれられなくて申し訳ない」といってくれた。少しの勇気と知識を得た僕は、特定の不動産会社の管理下の住宅を選択肢から除外することによって効率的に家探しができるようになった。

 

契約できないまま大学生活スタート

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Co-signerを必要としない不動産会社はその代わりに、家賃を1年分一括(1200ドル*12 + 2400:敷金 = 16800ドル:180万円ぐらい)で支払えば入れてくれるというところが見つかった。いやいや、180万円一括で払えってアホかよ。でも、アメリカにきている留学生には石油王とか中国の超成金とかも少なくないからそういう形態があるらしい。そうこうしているうちに、アメリカに来てから二ヶ月がたち大学生活がはじまった。アメリカにきてからすぐのうちは可愛かったホストの女の子のキャピキャピも、課題がたくさんある今は少し迷惑で早く一人暮らしを始めたいとおもうようになった。そして、何人かの同大学の日本人の友達ができた。

 

シェアハウス案がもちあがる

そんな折、日本人6人でシェアハウスをしないかというお誘いを受けた。そのメンバーの2人しか僕は知らなかったが、とりあえず会ってみることにした。メンバーは全員僕よりも年下で、高校卒業したての18才の女の子が2人、男の子が1人、一年バイトしていた19才の男子が2人だった。集まって話をしてみると、それぞれが「家賃は500ドルまで」「エアコンが欲しい」「プール付きがいい」「徒歩15分いない」「8月中に入居したい」など、自分の都合をいうばかりだった。おそらく、日本人的な感覚なんだと思う。不動産に要望伝えてそれに合うものが湧いて出てくると思っている。僕としては、一番に困ることは「入居してからの仲違い」だったのでまずがお互いをきちんと知ることが大切だと述べた。それから、自分は今まで二ヶ月必死で家探ししてきたけれどなかなか見つからなかったこと、その中でわかったことなどを伝えた。しかし、ほとんどのメンバーがお客さん気分で、あまり真剣に探す気がなかったので僕が率先する形となった。僕は、少し未来が見えるので(誰にでも見えるが)、このシェアハウスのための家探しと並行して自分の一人暮らしのための家探しも続けた

 

シェアハウス案が企画倒れする

予期していた通り、それぞれが勝手な自己主張を続けた結果シェアハウス案はなかったことになった。(これは、現在になってわかったことだが、そのシェアハウス計画に参加していた2人の女子同士と、2人男子同士が、性格が合わないようで、現在は犬猿の仲になっているようで実現していなくて本当に良かったと思う。)

 

小さな管理会社に出会う

再び一人になり、コツコツと内見と電話を続けた結果、小さな管理会社が管理するアパートを見つけた。前まで、Co-signerなしの日本人が住んでいたこともあったらしく、もしかしたらできるかもしれないとマネージャーに言われた。管理会社に足を運ぶと、ビルの中の一室にオフォスを構えた管理会社があった。どちらも50才ぐらいの、フィリピン訛りの秘書と、金髪の女社長が2人で働いていた。ホワイトボードに書いてあった現在入居者を探している物件も3つぐらいしかなかった。そこで、内見へ行ったアパートに入りたいことを伝えると、パスポートのコピーや在学証明書などのコピーをとられて、契約書を読むように言われた。その後は、「てんぷらって何?」とか「日本のどこに住んでるの?」とか、日本人であることをしつこく確認された。日本人なら裕福だろうから家賃滞納もしないだろうと思ったのだろうか? 何はともあれ、オーナーが許可すれば住めると言われた。

 

無事に引っ越し、その後わかったこと

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オーナーに不動産で言われたことを伝えると、入居しても構わないと言われて無事に住むことができた。ホストファミリーはすごく寂しそうにしていて、使っていない食器やシーツなどをくれた。しかもソファーベッドまでくれた。無事に引っ越しを終えて、ひといきついた。その後、大学で出会った人にアパートをどうしたか聞いてみると、Co-signerあり、1年分支払う、敷金を3倍し払う、もともと日本人が住んでいたところで入れ替わりに紹介で入る、という4パターンが留学生でもアパート契約できる条件のようだった。はいはい、よい人生経験になりましたよっと。

 

後日談

シェアハウス計画の5人も、それぞれ家探しに困っている様子だったので、うち2人をうちに向かい入れて3人で住むことにした。僕は家賃もやすくなるし、1LDKの家で、自室は確保したので満足だった。しかし、そのうちの一人の彼は朝でも夜でもスマホででバラエティやユーチューバー(笑)を見て爆笑しているので、耳障りで勉強や読書に集中できなくて、たまらない。そしてたまに熱唱する。やめてほしい。最近のひとつの悩みでもある。これなら、まだホストファミリーの女の子の方がましだったかもしれない。

 

 

あーーーー、日本帰りてーーー!!!!

重要なのは「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」でもなく。

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”世の中はおかしい。”

”「何を言ったのか」という本質的な意見を解釈するのではなく、その意見を「誰が言ったか」で反応が変わるのだ。”

 

 

聞き飽きたセリフだ。そして、大抵この意見をいうのは「誰」として当てはめた時に良い反応をもらえない人たちだ。つまり、「僕だって同じことを言ったのに何で僕は認めてくれないで、あの人は認めるんだ!」という子供っぽい嫉妬からくる言い訳だ。

 

(この後は、「誰がいったか」を「送信者」、「何を言ったか」を「意見」として続けます。)

 

 

世の中では、たしかに「意見」を吟味することが本来あるべき形であるにも関わらず、「意見」は軽視されがちだ。

好感度の高い芸能人が、犯罪を犯して釈明をすると「本当はいい人だから気にしないで!」「それでも好きです!」という反応が帰ってくる。ホットな話題で言えば、TOKIOの山口さん、少し前で言えばNON STYLEの井上さん(ノンスタ井上)などがあたる。

好感度の低い著名人が似たような犯罪をして釈明をすると「やっぱりやると思ってた。」「別に驚きもしないけど、二度と人前に出てきてほしくない。」などと世間の風当たりは冷たい。あえてこちら側の例はあげないこととする。

 

だから、「意見」よりも「送信者」が大切なのだ。

というのが多くの人の主張だ。

 

「一悪を持って衆善を忘れず」という考えによるものかもしれないが。

 

しかし、僕はあえて否定したい。これは的を射ているようで、どこか僕には蟠りの残る意見だ。

 

僕は、思う。正確には「何を言うか」でも「誰が言うか」でもなく、「誰に言うか」が大切なのではないか。つまり、「受信者」だ。

 

好感度の高い芸能人が、犯罪を犯したことに対してそのことを彼らのファンに批判してみたところでなんの効果もないのだ。

 

どれだけ、重たい罪なのか、どれだけ間違ったものなのか淡々と論理的に説明してもそこに何ら意味はない。なぜなら、彼らはその芸能人を盲信しているからだ。

 

これは、18世紀のヨーロッパで神の存在を盲信している信者にこんこんと進化論をといたダーウィンのケースと似ている。彼らは、論理的ではないのだ。中には、情報を整理し、自分の意志で反応を返す人もいるだろう。しかし、大抵の場合は、周りの雰囲気に流されてしまう。少数派の意見をまともに取り合う人はほとんどいない。「宗教」というものは、薄れてきている一方、PR会社やマスメディアによって生み出される印象に「信仰」する精神において、人間は変わらない。僕はマスメディアの陰謀論を唱えたいわけではない。ただ、人間は何かを信じている。それは人間の本質的なところであると思う。僕だって何かを信じている。しかし、信仰は論理的でない。ゆえに、意見というものが効果的かどうかはそれを受け取る相手次第だ。

 

 

非常に幸運なことに、僕の文章や作ったものを素晴らしいと褒めてくれる人がいる。(もちろん親しい友人だが)それは彼らが僕の意見に耳を傾けてくれているからであると思う。僕に心を開いているからだと思う。つまり、この文章がつまらなければ、「僕」が悪いのでもなく、「この文章」が悪いのではなく、この文章を読んだ「あなた」が悪いのであしからず。

日本とアメリカ、両方の大学に通ってみて考えたこと

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Helloにちは。  

アメリカ被れのねおらるです。

 

今回はアメリカの大学と日本の大学の両方に通ってみて考えたこと投稿してみたいと思います。(どっちも未だ卒業してませんが。) 

いち学生として感じたことを書き連ねるだけですので、一部はアメリカと日本の大学の特徴というよりも僕の通った2つの大学の特徴となってしまうかもしれませんがあしからず。(統計データなどから、論理的に日本とアメリカの大学の特徴や違いを述べるのをみたい方は、別のきちんとした本を読んでください。)

一般論に偏りすぎず、しかし、一般論から離れすぎず、ということを意識してみたいと思います。

 

 

 

モチベーションの違い

日本の大学生の多くは「大学ブランド」を重要視しています。旧帝大早慶GMARCHなどのブランドを卒業することがメインのモチベーションにあるような気がします。受験も、「まずは自分の偏差値から行けそうな大学を絞り、その大学から専攻を選ぶ。」というスタンスをとる人が少なくありません。日本で他大の大学生と会うと、専攻よりもまず何大学か聞きます。相手の専攻にはあまり関心がないことが多いですね。よって、高校生の頃は良い大学ブランドを得るために勉強に躍起になるけれど、入学したら燃え尽きた。という人は多いですね。近年は、その大学ブランドを利用して良い企業に就職しても、3年以内に辞める人が多いようです。ゆとりの影響で、のんびり屋で根気がないからなのか、または会社に入れたことに満足して燃え尽きたのかはわかりませんが。

 

一方、アメリカにいる学生は「専攻重視」なところがあります。「まずはお前の興味あることを教えろ。」って感じですね。リベラルアーツのような、まずは広く学んでそこから専攻を決めるような制度もあるので、専攻の勉強に対して前向きな学生が多いです。アメリカだと、挨拶からもその傾向をみてとれるような気がします。「What do you do?」は「お仕事はなんですか?」と翻訳されますが、ここでも「普段何をしているのか」「どんな働きをしているのか」ということを尋ねているのであって、役職はどこかどの会社なのかと細かく聞くのはビジネスシーンに限られるようです。地位や会社のブランドで人を判断するべきではないという考え、マナーのようなものがあるのかもしれませんね。日本人も、ハロー効果を受けないためにもそういう文化が増えるといいですね。

 

 

勉強のスタイル、ペースなど

日本では、さきほどもあげたように、高校で受験戦争をくぐり抜けてきた猛者たちが多いので、大学一年生で比較をすると圧倒的に日本の方がアメリカよりも学生の勉学レベルが高いです。とはいっても、アメリカと日本で比較できるのは、数学、物理、化学ぐらいのものですが(国語、社会、第二外国語などは勉強するものが根本的に違う)。特に数学と物理はすごいです。日本では電卓を使わない影響もあって、計算能力がまず高いです。加えて、日本の高校生が理系文系関係なく必修で修める数学の範囲が、アメリカでは大学のカリキュラムに組み込まれていたりします。化学に関しては、同じぐらいだと思います。しかし、大学に入ってからの加速度はアメリカに軍配があがります。大学一年生で比べると、日本の学生の方が勉学レベルが高いですが、大学のカリキュラムはアメリカの方がハードです。大学ランキングでアメリカが上位に食い込むのは、卒業までに学ぶ量や質にあるのかもしれませんね。ぼくはまだ卒業していないので、主観で言うことはできないのですが、聞いた話では、大学3年生から大学院までにかけて、勉学レベルが日本とアメリカで逆転するようです。確かに、日本の大学にいたころはそこまで勉強を頑張らなくても、ついていくことができました。(一番大変な専門科目(プログラミング系)が得意で、簡単だったからというのも大きかったですが。)ほとんど毎日、遊びに遊びました。家にこもって一日中ゲームしたり、友達と講義サボってディズニーにいったり、バイトしたり、めちゃくちゃエンジョイしました。それでもテストで学科一位とか取っていたので本当に調子に乗っていました。一方、アメリカではついていくのがやっとです。朝から大学の図書館が開くのと同時に大学へ行き、講義が始まるまで予習復習、講義の間の空きコマも図書館で課題、授業後も図書館が閉まるまで勉強、週末も必ず1日以上は図書館で缶詰です。僕の能力が低いからか、それでも褒められた成績ではないです。(第二学国語で学ぶというハンディーもありますが。)

 

正直感じること

日本の大学生活の方が圧倒的に楽しいです。楽しいって言うのは、「大学生らしい」楽しさです。カラオケ、ボウリング、飲み会、バイト、BBQ、ディズニー、サークル、花火大会、etc.みたいな生活は本当に楽しかったです。いや、本当に楽しいです。ぶっちゃけ、狭いし、ごちゃごちゃした日本ですが、僕に取ってはあれが青春でした。今までに生きてきて、一番楽しい時間を過ごせました。まあ、そんな生活の中で考えさせられることが増えて、アメリカに飛び出しちゃった。逃げ出しちゃったダメ人間なわけですけれど。

 

アメリカの生活も違った視点では楽しいです。今までに自分になかった考えや文化を持つ人がたくさんいるので、間違いなく視野は広がります。また、他国を知ることによって今までの日本で「あたりまえ」と思っていたことが、「日本らしさ」に変わっていきます。言い換えれば、日本の個性を理解することができるようになります。第二外国語で思考ができる能力を得ることも、とっても楽しいです。人生経験としては、素晴らしいもので、それを体験させてくれた親や周りの人に感謝したいです。しかし、「大学に入って思いっきり遊びたい!」と思っている日本の高校生には、個人的にはアメリカの大学へいくことはおすすめしません。僕の友人には、高校を卒業して直接アメリカの大学へ入学した日本人も多くいますが、彼らが時々、「日本の大学とアメリカの大学ぶっちゃけどっちが楽しい?」と聞いてくることがありますが、僕は日本の大学と返しています(笑)。

 

 

時間の大切さ

僕は今「アメリカにいられるのは4年とかそれぐらいなんだから、時間を無駄にせず(e.g.一日中スマホいじるとかね)、様々な場所へ行って、多くの人と会って、いろんなことに挑戦して、たくさん考えたい!」と思っていますが、考えてみれば、別にそんなのはアメリカに来る来ないに関係した話ではないんですよね。日本の大学生活だって限られたもので、いろんな体験をするべきだってことに今になって気がつきました。彼女や友達がお出かけしようよと提案していたのに、腰が重くて、部屋で一人でゲームがしたくて断ったりしていた自分にもう一度イエスマンでも見て考えろといってやりたいくらいです。もっといえば、大学生じゃなくたって、人生は時間軸に乗って移動し続けているんだから、いつだって、時間を大切にするべきですね。

 

 

やっぱり日本ってすごい

 どこか、アメリカ擁護、日本批判のような文章になってしまったので、少し話しておきたい考え事があります。さきほど、日本人は高校生までは勉学レベルがアメリカよりも高いけれど、大学卒業時にはアメリカの方が勉学レベルが高いといいました。これは、「一見、アメリカの方が勉学レベルの高い国だ」といっているかのようです。実際、ノーベル賞受賞数や、世界大学ランキングなどでみてみても、教育レベルの高さが伺えます。しかし、進学率はどうでしょうか。アメリカ人の留学生除く進学率は50%ほどで高くありません。一方、日本は7割ほどが、大学まで進学します。そして、大学進学しなくても高校教育がアメリカと比較すると、ハイレベルといえます。これの意味するところは、日本人は平均的に賢いということ。この、底上げがきちんとできていることが、日本人のもつモラルや非科学的なものに対する冷静な洞察力をつくっているのではないでしょうか。これは、近年のみの傾向ではありません。他国から奇跡と言われる、その当時極東のド田舎の国だったが、明治維新による急成長、また戦後の経済成長ができたのは、識字率の高さなど「平均的な賢さ」があったからではないだろうか。日本にはアインシュタインジョブズのような「圧倒的天才」「カリスマ的存在」は少ないが、「集合知」「全体の賢さ」といったものがあるのではないだろうか。もしかしたら、それが、日本独特の「空気」をつくっているのかもしれない。

 

僕のおバカな考えを綴るブログも、冷静な集合知による批判があればこそ、成り立つのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

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