「人は二度死ぬ。だが二度目の死は避けられる」に異議申す!

はじめに

こんにちは。乾燥によって喉を痛めたのをきっかけに、アロマディフューザーを買って、お部屋がオレンジの香りになって、上機嫌の ねおらる です。

「人は二度死ぬ」というフレーズを聞いたことのありますか? これは、初めに一度目の死、すなわち肉体の死を迎え、そして生きている人々から忘れ去られたときに、二度目の死、すなわち忘却の死を迎えるというものです。

つまりは、二度目の死は回避できる。 有名なアーティストや偉人など、歴史に名前を閉ざした人々は二度目の死を未来永劫迎えないものである。というものです。

2017年冬に公開された、ピクサーのリメンバーミーでもこの概念がテーマになっていたこともあり、有名なフレーズとなりました。

誰がはじめに提唱したのか出典は不詳のようですが、意外にも近代的な概念のようです。

しかし、僕個人的な意見としては、肉体の死も、忘却の死も、避けられないものだと思います。

この概念をどう捉えますか?

この概念を肯定的に捉えると以下のようになるのではないでしょうか。

「二度目の死は回避できる。だからこそ、歴史に名前を刻もう。ビッグネームになって、名前を残すんだ!」

しかし、周知の通り、歴史に名前を刻む、名前を後世まで残すことのできる人はごくわずかです。

ごくわずかな、選ばれた、才能ある人間たちは歴史に名前を残して、忘却の死を免れ、そして、多くの人々は忘れ去られていく。

なんだか物悲しく、世間は不平等なもののような気がしてきます。

このように捉えると、自分も躍起になって名前を残さなくてはいけないと強いられているような印象を受けます。

いや、僕は思う。

いや、そもそも、二度目の死は本当に回避なんてできるのでしょうか? 人々に未来永劫忘れられないことなんてできるのでしょうか?

「そりゃ、そうだろ。豊臣秀吉が天下統一したことや、アインシュタイン相対性理論を提唱したことは未来永劫忘れられないよ。」

確かにそうです。彼らが何かを成し遂げたことは誉れ高いことです。 しかし、本当に彼らは”忘れられていない”のでしょうか。

僕は、小学生の頃に、おばあちゃんをなくしました。

とっても、優しいおばあちゃんでした。

おばあちゃんの声を覚えています。

幼稚園児の頃に寝かせつけてもらったを覚えています。

おばあちゃんのつくったふわふわのホットケーキの味を覚えています。

それが、きっと忘れられていないってことだと思います。

僕の中で、確かにおばあちゃんは生きています。

しかし、僕は、織田信長がどんな声だったのか知りません。

どんな顔なのか、どんな笑い方をするのか、何が苦手で、何が好物なのか、どんな仕草をするのか、知りません。

歴史上の偉人だって、親に愛されて、友と笑いあって、誰かを愛したはずです。

でも、今では誰も知ることはできません。

彼らはもう死んでしまったのです。

人は必ず死ぬ。

二度目の死も避けられないものだと思います。

限られたものだから人生は楽しいのかもしれません。

顔も知らない、未来の赤の他人に、教科書で、「ねおらる、2027年、タイムマシーンつくる」なんて暗記されてもちっとも嬉しくありません。

それよりも、僕は今、友人や家族、愛する人の心の中に、生きていたいです。

限られた時間を、誰と過ごし、何をやるのか。それが一番大切だと僕は思います。

有名になるとか、歴史に名前を刻むとかって、すごくくだらないことです。

僕らに何か残せるものは、今まさに、共に生きている、友人や家族にだけだと思います。

だから、この生きた文章を読んでくれた、あなたに心から感謝します。

今日も、一緒に、楽しく生きて生きましょう。

以上、ねおらるでした!