高学歴は高慢チキ

はじめに

スマブラでネット対戦で負けまくってイライラの ねおらる です。

今日は、社会奉仕の精神と学歴コンプについてお話していこうと思います。

みなさん、大学はどこですか? 旧帝大ですか?早慶ですか?MARCH?それとも関関同立

国民の大半がこれらの大学を出てはいないので、多くの人にとってこの質問はあまり気持ちの良いものではないと思います。

「すでに某大学を卒業し某会社に就職した友人が、社内のグループディスカッションで高卒の同期の社員と話すことになった際、高卒の社員さんたちが自分をへりくだってまったく意見をいってくれなくて困った。」と言っていました。

彼女が「高卒」という肩書きを色眼鏡でみていたのかどうかはわかりません。

また、世間一般で「高学歴」と呼ばれる大学へ進学した友人は、「高卒やら無名大学に進むやつは人生諦めてるみたいで見下してしまう」といっていました。

また、知り合いの中小企業の社長は「高卒だろうが大卒だろうが、仕事ができるやつはできるし、できないやつはできない。」と言っていました。

ノーブレスオブリージュという言葉があります。

「高貴さは義務を強制する」という意味です。

言い換えれば、「エリートはそれに伴う社会奉仕の義務を追う。」というものです。

アメリカは、日本以上の学歴社会です。

日本では、大学のネームバリューを重要視し、学部学科が軽視されがちです。

日本の友人も、卒業した学部と関連のない分野に付け焼き刃てきに資格を取得して就職するという話をききました。

経済学用語でunderemployedという言葉があります。まさにその状況ですね。

アメリカでは、通常、大学名と学部学科を満たさないと有名企業には就職できません。

そのため、アメリカでは裕福な家庭の両親はこぞって、子供たちを有名大学へ進学させます。

難関大学を入学、卒業できるように彼らの多くはボーディングスクールと呼ばれる高校へ行きます。

学費もバカにならない、高校ですが、それだけの価値があるようです。

東大の名も霞むようなハーバードやコロンビア大学、イェール大学などの超難関大学の多くがボーディングスクール出身です。

言い換えれば、日本のように裕福ではなく、中学高校も有名な進学校ではなくても、個人の頑張りによっては国立大に進めるといった敷居の広いものではありません。

生まれたってのエリートがエリート教育をされて、自分が社会に担う責任をみっちりと叩き込まれて育つようです。

そうでなければ、マークザッカーバーグビルゲイツのように資産の多くを社会に還元する寛大さを得ることはできないのかもしれません。

個人ではエリートは生まれません。

運良く社会の恩恵を受けて、エリートは生まれます。だから彼らは恵まれない人々に手を差し伸べ、差別や侮蔑といった感情とは無縁なのかもしれません。

私、個人の見解では、日本のエリートたちの共通思想はノーブレスオブリージュとは正反対のように思われます。

日本人は福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。<中略> 人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぷと学ばざるとによって出来るものなり。」という精神を抱いている人が多いのではないでしょうか。

平たく言えば、「人は元は平等で、努力した分だけ報われる」ということです。

しかし、これを悪いように解釈している人が多いのではないでしょうか。つまりは、日本のエリートは社会的地位の低い人に対して、「努力した分だけ報われる世の中なのだから、社会で俺が優遇されてお前が冷遇されるのはお前の怠慢と俺の努力によって生まれたものだ。だからお前が悪い。」ということです。

日本人は社会貢献に無頓着な人が多いように思われます。言い換えれば、愛国心や慈愛の心が低いように思われます。

先日、アメリカの大学で英文学を受講している際、教授が「人生の99%はどこにいつ生まれ落ちるかという運によって決まる。残りの1%だけが私たちの変えられる要素だ」と言っていました。

「働かざるもの食うべからず」という日本と、「ホームレスがかわいそうだと言って食べ物やお金を恵むことが一般的なアメリカ。」どちらの心が豊かなのでしょうか。

「日本は、安全で清潔で、誰もが"頑張れば"報われる社会である」と誰もが信じ込んでいるため、強者は弱者に厳しい傾向があります。

「あなたは今まで国家に生まれて教育されてきたのに自分が国家の家来ではないと国家にむかって言えるのか」とはソクラテスの言葉です。

私たちが今、受けている恩恵の99%以上が、支えてくれる友人、世界中の社会で働く全ての人々、恩師、両親、祖父祖母、今の日本を築いてきた祖先たち、そして社会に与えてもらったことだということを忘れたくないものです。傲慢にならず、謙虚に、生きていきたいですね。