気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

原動力

はじめに

ねおらるです。今日はポエムデイです。今からポエムを書くので、こういうの恥ずかしくて読んでられないよー!って方はここでおやめください。逆に、人のポエムみてニタニタが止まらない人はそのままお進みください。どうぞ。

原動力

ふと、自分が何をしているんだろうと考えることがある。

頭の中で、やるべきこと、やらなくちゃいけないこと、悩み、イライラ、やりたいこと、うまくいかないこと、無秩序に思考が駆け巡る。まとまりのない、ぼんやりとした頭で、焦燥感だけを感じている。

「このままじゃあ、いけない」

ただそれだけが聞こえてくる。何をするべきかわからない。何をしたいのかわからない。

ただ、このままじゃあだめだ。そういう声だけが聞こえてくる。

それでも何をしたらいいのかわからない。何をするべきなのかわからない。

僕を今動かしているものはなんだろうか。僕の原動力はなんだろうか。

何がやりたくて、いまここにいるんだろうか。

いま、何がしたい?未来で何がしたい?何が好き?何が嫌い?

わからない。僕は反作用のような人間だ。

右に行こうと言われれば左に向かう。赤が好きかと言われたら黄色が好きだと言う。

”僕はこれが好き!”

そう断言できる人が羨ましい。僕は何も好きじゃない。

何もかもが有り余っている。

すぐにこう思ってしまう。

「別にこれも要らないや。」

たまに何もかもを捨ててしまいたくなる時がある。

部屋の中を見渡す。これもいらない。あれもいらない。

どれも心はときめかない。

何も食べたくない。何もみたくない。何も聴きたくない。

小さい頃によく聞いたフレーズがある。

"親がやれやれってうるさくてさー"

友人たちがよく、親の意向に従順にしたがったり、または反発したりしていた。

親がレールを敷いてくれていたんだろう。

それは、一見つまらないように思えるかもしれない。

しかし、それは彼らの道しるべとなっただろう。

険しい道かもしれないし、間違った道かもしれない、彼らの歩みたい道筋ではないかもしれない。

けれど、そこには足跡があっただろう。

僕の親は、そういうことを言わなかった。

"やりたいことをやりなさい"

そういって、何も強制しなかった。

自由な道を選ぶことができた。そして、どちらへ行きたいといえば、目の前にレールを敷いてくれた。

しかし、僕にはわからなかった。均された平坦な道を歩きながら、ぼんやりとしていた。

僕は何が好きなんだろう。何処へいきたいんだろう。わからない。わからない。

たまに何かを気に入ることがある。欲しいものが見つかることがある。

しかし、大抵のそれは、手を伸ばすと簡単に手に入った。そして、しばらく眺めたあと、僕はすぐにそれを道端へ捨ててきた。

惰性で何個か、ポケットにそれらは入っている。

たまに、ポケットからそれらを取り出しては、「これもいらない」「あれもいらない」

そういって、道端へ捨てていく。

僕は今、何をもっているのだろうか。何が欲しいのだろうか、どこへむかっていくのだろうか。

レールの上で忙しそうに走り去る友人たちを、取り残されてぼんやりと眺める僕は、再び焦燥感に襲われる。

なにか、しなきゃ。なにか、しなきゃ。僕には何があるだろうか。

そして気づく。そうか、僕は何も持っていないんだ。

後ろを振り返ってみる。

父さんと母さんが、僕の捨てたものを愛おしそうに拾い集めていた。

"どうして、こんなに良いものを捨ててしまったんだい"

そうか、僕の原動力は、これなのか。

気づいた僕は再び歩き出すことにする。

友人の背中は遠い。でも、僕には見守ってくれる人がいる。

ゆっくり、歩いて行こう。