気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

友達がマルチに会った話

はじめに

先日、日本に帰国した際にとある友人にネズミ講、いわゆるマルチの相談をされた。とはいっても勧誘されたわけではなく、彼が被害にあいかけたという話だった。彼はとある友人から儲かる株式取引の教材の入ったUSBを50万円で買わされそうになったそうだ。親しい友人にお茶に誘われてカフェに行ってみるとおっかないスーツのおじさんと一緒にその友人がいたらしい。当然、50万円の現金など用意ができないと行って断ろうとすると、学生ローンを使えば簡単に借りられると金の調達方法まで指示してきたらしい。手慣れたものである。僕はその話を馬鹿なやつだなと思って聞いていたが、実際におっかない人を目の当たりにして捲し立てられると断り切れるか疑問である。(いや、断るけどね。そしてその友人ごとやめさせるけど僕は。)

オンラインサロンやら

そこまで露骨な話ではないが、最近、オンラインサロンというのが流行っている。話題の某芸人さんや某大学教授、某有名経営者、某心理学者など様々なジャンルの人々が月額制の有料ブログなどを開いている。前者は完全なる詐欺だし、後者はお金を騙し取っているわけではないから同一視することはできない。しかし、僕個人の意見としては、啓発系の本を読むことや、オンラインサロンに課金することはあまり賢い選択とは思えない。彼ら、つまり某有名人たちは確かにカリスマ性があると思う。人の注目を集める手段や頭、資金、それだけでなく他者にはない社会を生き抜く実力というものも持ち合わせていると思う。しかし、そんな彼らの猿真似を彼らの口車に乗せられて実行したからと言って得られるものは何もないと思う。中には、ハウツー的な話ではなく、そんな彼らをカルトの教祖様のように祭り上げる人たちまで現れている。そして、そういった人たちに良いように扱われる人たちの多くは、頑張り屋で、現状に納得のできない高い理想と体力を持ち合わせた若い人たちだと思う。嘆かわしいものですね。

ロールモデル、師匠、カルト

ロールモデルという言葉がある。目標とする人物のことである。それはある人にはお父さんかもしれないし、プロ野球選手かもしれないし、憧れの芸能人かもしれない。誰かを師匠と仰ぐことは悪いことではない。しかし、師匠の言葉を鵜呑みにしている弟子はいつまでたっても師匠を越えられない。師匠も人間である。人間とは関数である。周りの環境によってインプットされた情報が人間という関数を介して答えを導き出す。その答えが彼らの行動であり言動である。つまり行動や言動とはただの答えでしかない。関数によって吐き出される答えにばかり注目するのではなく、彼らが何をインプットしているのかそしてそのブラックボックスの中では何がどう処理されているのか、それを考えてリバースエンジニアリングしていくことが最も重要なことである。カタカナばかりならべてしまったので、日本語で言えば、師匠を越えたければ師匠自身ではなく師匠の見る先を見ろということだと思う。僕は世の中には完璧な人は一人としていないと思う。どんな聖人君主だって時には間違えるし、どんな悪人だって時には正しいことをする。だから、誰かを盲信することなく、自分の目で出来るだけたくさんの意見や情報を集めて、己という関数をよりよいものにしていくことが最も大切なことだ。視野を広くしていこう。