気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

コンテンツの使い方

こんにちは。室賀いまりです。

僕は時々YouTubeに動画を出したりしているのですが、先日知らない人から、こんなコメントが届きました。

「4回再生ってwwww」

「もっと、面白いサムネにした方がいいですよww」

「ゲーム下手くそでワロタ」

別に傷ついたわけではないんですが、正直イラッとしました。イラッとした理由は、価値観の押し付けからです。僕がYouTubeに動画を出したりすると、友達は口々に「室賀もYouTuberになったのか」と言います。もし、YouTuberの定義をYouTubeに動画を投稿している人全員と定義するなら確かにそうですが、YouTubeで収入を得ようとか不特定多数の人に何かを見てもらおうと思っている人を指すのであれば、僕はYouTuberではありません。僕は友人に向けて動画をあげています。暇な友人がたまに一人か二人動画を見て話のネタにでもしてくれればそれでいいのです。感覚的には、教室で隣の子に「ねえ、みてこれ」って話しかけて授業中のノートのラクガキを見せている感覚に近いです。先程のコメントをこの例で例えるなら、そうやって友達に落書きを見せていたら傍から知らん奴が急に割り込んできて「なんだその絵は、写実的でもないし、表現力も、技術力もない、改善点が多すぎる、下手くそだ」などと批評してくるようなものです。誰やねんお前は。もちろん、インターネットに公開している以上、誰が観る権利もあるから、知らない人が観ても構いません。また先程の例に沿って言えば、傍から知らない人が「なにそのラクガキ面白いね」と話しかけてくれば、友達になれるかもしれません。例えネットであっても、そのくらいの小規模で温かみのある利用方法を僕は求めています。僕は工学部だから、テクノロジーがそういった人間に寄り添ったものであることを望んでいます。もっとこういう考え方が広まれば良いなと個人的には思っています。興味を惹くようなサムネにしたり、バズるのを求めてネタポストをしたり、たくさん人を集められるように創意工夫をするのを一概に否定するつもりはありません。しかし、実はそういったSNSの利用方法は人間の精神に悪い影響を与えます。陰謀論とか、テクノロジー否定とか、自然主義ではありません。僕が言いたいのは、何にでも長所と短所があるという話です。人間の精神状態を安定させるものにセロトニンという脳内の伝達物質があります。セロトニンの分泌量が少ないとストレスを受けやすく、心が不安定になります。セロトニンの分泌量は自分の立場に依存します。例えば、ボスザルと普通の猿で比較するとボスザルには比較的多くのセロトニンが発見されます。または会社の上司と部下、先生と生徒などでも同じような結果になります。または、パートナーを失ったり、友人からの信頼を失ったと感じた時にも、セロトニンの分泌量は下がります。要するに比較問題なのです。だから、現代のSNSなどで自分の成功体験や華々しいものをシェアする文化は多くの人の自信を奪う、つまりはセロトニンの分泌量を下げることにも繋がります。もちろん、その逆もあるでしょう。運良く、SNSで多くの人から注目を集める人物になれたとしたら、お山の大将になったような気がして(セロトニンの分泌量が増え)、自分が偉くなったと感じられます。いわゆる、インフルエンサーと呼ばれる人たちが自信に溢れ強い言葉で断定的な発言を繰り返すのはこのためです。しかし、そのような立場の人間は一部であり、利用者のほとんどはノンインフルエンサー(今勝手に作った造語)です。利用者のほとんどはインフルエンサーたちの生み出す無限のコンテンツに惑わされ、自信を失って、自己表現をやめていきます。中学校の教室を思い返してください。みんなで美術の絵を描くことになりました。みながそれぞれ絵を描いています。そんなとき、突如として黒板がスクリーンへと変わります。そして、そのスクリーンには世界中のとびきり上手い絵が次々と表示されます。とても綺麗な色使い、繊細な写実に目を奪われます。そして、ふと我に返り、手元を見ると、自分の描いていた絵がとても見窄らしいものに見えてきます。自信を失った多くの人が自身の才能に見切りをつけて絵を描くのをやめていきます。そんな中、あるクラスメイトの一人はめげずに自分の絵を描き切り、隣の子へと見せます。しかし、隣の子はスクリーンに映される世界の絵画に夢中でクラスメイトの絵には目もくれません。そんな様子が実際に再現されてしまっているのが、今のSNSの現状ではないでしょうか。そして、自信を失った人々の一部は、自分を高めるのではなく、人を貶めたり、自分よりも下の人間を探して徘徊します。そんな人が攻撃的なコメントを書いたりしてしまうのではないでしょうか。デジタルデトックスの話題では取り上げられやすいので、聞いたことがあるかもしれませんがセオドアルーズベルトの言葉で「Comparison is the thief of joy(比較は喜びを奪う)」という言葉があります。悲しきかなこれは真実で、現代社会では常に自分よりも上の成功例をまざまざと見せつけられることが多いです。しかし、ぶっちゃけ、世界一の何かなんてどうでも良くないですか。知らん人がオリンピックで優勝してるのよりも、親友が地区大会で優勝した方がよっぽど嬉しいものじゃないですか。バンクシーの絵よりも、自分の息子の描いてくれた自分の似顔絵の方がよっぽど心を動かしてくれるものじゃないですか。別に世界と競いあう必要なんてなくないですか。今の世界は、多忙中毒で、忙しいことを美徳として、無限に"顔も知らない一流"からのコンテンツが届き続けます。でも、そこに幸せはないんじゃないかなと思います。

先ほども言ったとおり、僕は工学部のエンジニア志望です。テクノロジーは人を幸せにするためのものです。しかし、世の中は綺麗事だけでは動きません。世界にはシステムが溢れ帰っています。会社とは利益を生むためのシステムです。そして、そんな"会社"が生み出したのが、TwitterYouTubeTikTokFacebook、その他もろもろのSNSです。SNSというシステムはお金を稼ぐシステムです。そのために、人々を魅了して依存させるシステムです。そこには善意も悪意もありません。ただ最もお金を稼ぐことのできる最良のアルゴリズムを追求しているだけです。だから、個人にとって良い影響も悪い影響も与えうるのです。僕は、より多くの人々に注目を浴びるために躍起になる競争社会のためのSNSではなく、友人とコミュニケーションを取るためのSNSでありたいと思いました。だから、今後も小規模でやっていきます。そして、増えすぎて自分の手に負えないと思ったら、それは手放してまたゼロからやっていきます。これが僕のコンテンツの使い方です。あなたはどうコンテンツを使いますか?