「日本の大学をやめて、アメリカの大学で3ヶ月過ごして見て思ったこと」

日本の大学をやめてからの現在

 現在、僕はアメリカ西海岸の大学で英語とComputer Scienceを勉強している。今でも意思疎通がスムーズにできずに戸惑うことはあるが、大体は相手が何を言っているのかがわかり、少し時間がかかるが、自分が言いたいことを伝えられるくらいになってきた。外国人の友達もできて、毎日がとても楽しい。こちらに留学する前に、僕は日本でS工業大学に通っていた。そこでは、成績も悪くなく、日本人の大学生らしくなく授業にもきちんと出席していたので大学をやめる時に友人や教授には驚かれ、反対をされた。決して悪い大学ではなかったし、そこで出会った友達も好きな人が多く、今でも連絡を取り合っている。

 

答えなんてあるはずもない「幸せ」について考える

では、なぜ大学を辞めたかというと「人生は短い」ということに気づいたからだ。高校生の頃の僕は「まだまだ自分は子供だし、若い。別に今は人生の目標とか、生きる希望とか、生きがいみたいなものについて考えなくていい」と思っていた。そして、「花のような大学生活」が僕には待っていて、そして「人生で最高に充実した四年間が待っていて、生きがいと仕事と人生の友達、そして生涯のパートナーを見つけられる。」私は大学に行けば、人生はそのように自動的に動き出して、「幸せ」になれると思っていた。この希望はあながち間違いでもなかった。そこでは「仕事」「友達」「パートナー」を見つけることができた。誰かは僕にいうかもしれない。「友達、恋人、仕事」それさえあれば十分に幸せじゃないかと。人生にそれ以上のものなんてないと。確かにそうかもしれない。お金を稼いで、ご飯を食べて、友と遊び、家庭をもつ。そういう生き方を否定したいわけではない、言ってしまえば僕にとってもそれは「理想の将来」ではある。でも、僕には「まだその時ではない」と思えてならなかった。僕にはまだまだやりたいことがある。やりたいことを見つけられてない。そう直感的に自分の本心に言われたような気がした。

 

海外への憧れ、悔いの残らない生き方?

そして、外国人の生き方を知りたいと思った。どうしてたまたま、日本に生まれたからといって「日本の理想の生き方」を選択するべきなのだろうかと思った。「他の生き方」を知って、比較してもいいんじゃないかと思った。外国へ行ってもっと様々な「生き方」を見て見たいと思っていた。しかし、そのような本心に生まれた芽生えは「現実」の言葉たちが押し殺していた。「もう、就職率もよい大学に高い学費払って入れたんだぞ。4年経てば安定的な就職ができるんだぞ」「アメリカ行きたいとか意識高い系かよ。」「"意識が変わった。日本は狭い。"とか言いながら帰ってくるんだろ。」「20超えて、大学やり直しとか正気かよ。」確かにそうだと思った。急にあてもなく、大学を辞めるなんてバカな行為だ。「もったいのない」行為だ。就職が遠ざかる、これまでの学費が無駄になる、「理想の生き方」が遠ざかる。でも、ここで今やりたいと思っているアメリカ留学はとりあえずお金や今までの時間がもったいないから行かないという選択肢を選んだとすると、僕の人生にはきっとそれは永劫登場しないものとなっていたと思う。短期的(3、4年の期間)に考えれば大学を辞めるのは「もったいない」行為だと思った。けれど、生まれてから死ぬまでの人生においてどちらが本当に「もったいのない」行為かと考えるとここで「とりあえずやりたいことは我慢してこれまで通り生きること」だと思った。30歳になったときに、また40、はたまた70になった時に「あのときアメリカ留学しておけばよかった」と後悔したくなかった。

 

アメリカにて

そして、僕は泣く泣く仲の良い友人や恋人と別れて今、アメリカにいる。日本での僕はストレート入学ではない大学の同期に偏見を持っていた。別に差別していたわけではないが、浪人生や仕事を退職して大学に入っている人をフラットにみることができなかった。それは本人たちもそうであった。24才で大学に入った友人は年齢を周りに知られることを嫌がっていた。日本ではそういう学生は少なく、特異な目で見られがちだ。僕もそういった存在になるのかなと思いながら大学へ入り直した。アメリカではあまり、そういうことはない。というのも、私の通う大学はコミュニティカレッジなので、私の両親の年齢のような人たちも通っている。私とまったく同じようなことを考えてアメリカにやってきた外国人もいる。だから、むしろ馴染んでいるかもしれない。類は友を呼ぶという言葉を海を越えて実感をしたような気がする。断っておきたいが、私は日本が大好きである。「日本はだめだ。これからはアメリカだ。中国だ。」「日本の教育はいかに間違っているか。」そのようなことが語りたいのではない。むしろ、海外で生活したこともない人が「一部のブラック企業や部活動、習慣などをあげて、いかに日本がおかしいか」とネットなどでさも全てを知っているかのように語っているのをみると腹が立って仕方がない。私には海外をしれば知るほど、むしろ日本は安全で自由のある国だと思えてならない。もちろん、辛い思いをしている人もあるだろう。でも、正直「最低」について語るのであれば海外にはもっと過酷で残酷な環境は無数にある。日本は明らかに生活水準も高く、自由がきく。

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2年生の終わりに大学をやめてから、1年間日本でバイトと英語の勉強に明け暮れて、渡米した。正直、そんなに自身はなかった。英語の成績は昔から芳しくなく、大学も理系だったのでそこまでセンター試験などのスコアも高くなくてよかった。しかし、海外留学をするとなるとネイティブと同じ環境で「英語で」学ばなくてはならない。海外留学をするには「TOEFL」という試験が必要になる。私は大学で「TOEIC」は受けていたが(大学を辞める前のスコアは500ぐらい)、全然レベルや内容の違うものだった。半年勉強してギリギリでコミュニティカレッジに合格するスコアを取ることができた。

 

 

一抹の疑問

しかし、不意にこれでいいのだろうかと思うこともある。それは日本人の存在である。アメリカ西海岸、ひいてはカリフォルニア州にはたくさんの日本人がいる。私の大学でも日本人のコミュニティが出来上がっている。彼ら(私も含む)はもちろんアメリカにきたくて、きていて、英語を伸ばしたいと思っている。しかし、どうしても日本人がいると日本語に甘えてしまう。中には授業以外は日本人といてほとんど英語を使わない人もいる。せっかくアメリカにきたのにこれでいいのかと思ってしまう。正反対に日本語を一切使わないという枷を自分にかけている女の子もいる。日本人とは一切つるまず、メディアも英語のものだけを使い、日本の友人との連絡も絶っているという人もいる。僕はバランスが大切だと思う。英語は使える限り、積極的に使うべきだし、日本語を極端に禁止する必要もないと思う。しかし、「日本語に甘えない」彼女のストイックさは見習わなければと思う。さて、話が右往左往して一貫性のない文章になってしまいましたが、胸のなかにあった「言いたいこと」は吐き出せてスッキリしたのでこれぐらいで今回は失礼します。この記事を最後まで読んでくださった方が人生を謳歌できることを祈っております。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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