気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

権威主義の失墜は何を意味するのか

小難しいタイトルにしてみたけれど、至って話は簡単である。昔、といってもほんの数十年前までは権威には日本人の"普通"をコントロールする力があった。何かの情報や意見について述べる時に、今から並べる言い出しは"普通"の意見として認められるだけの効力があった。「新聞で読んだけど」「テレビで見たんだけど」「大学の教授がいってたけど」「本で読んだんだけど」そして、反対に「ブログでみたけど」「YouTubeでみたけど」「2chで誰かがいってたけど」という言い出しは冗談半分、または全くもって信用に足らないものとみなされた。「ネットの情報は玉石混交である。」そのように権威たちは述べていた。Web2.0が生み出すものは集合知かまたは集合愚かと盛んに20世紀末から21世紀初頭には議論された。しかし、いまや権威はその力を失いつつある。新聞やテレビがいうことならば何でもかんでも鵜呑みにするという考えの人は数を減らしていった。そして、20年ほど前までは冗談半分や信用に足らないものであったはずのネットから流入する情報は、むしろフィルターリングのかかっていない生の情報を運ぶものとして、重宝されるようになった。「個人が情報の真偽について判断する時代」の到来。それは、裏を返せば絶対的力、"賢い誰か"が正しいもの、間違ったもの、を定義してくれる時代の終焉となった。権威主義の失墜である。これはメディアだけの問題ではない。現在では、科学者や医師の意見でさえもまともに相手にされる時代ではなくなった。どれだけ権威があろうと、言い換えれば、慶應大学の教授ですと言っても、東京大学病院の医師ですと言っても、彼らの意見が市民によって鵜呑みにされることはなくなった。科学と医療は別物だ。科学に絶対は存在しない。科学に誠実な人間ならば、「マスクをつけた方が人類の生存率は絶対にあがる」とか「ワクチンには予防効果がある」と断定することはない。理由は至って単純で、現実世界という条件は再現不可能だからだ。もし、この世界がシュタインズゲートのように世界線が複数存在するものであれば、実証実験ができるかもしれない。そして、その実証実験は10年とか30年とかのスケールで行われるべきだ。言い換えれば、「ワクチンを人類全員が打って30年が経過した世界」と「ワクチンを誰も打たずに30年が経過した世界」またはその中間の「ワクチンを半分の人間がうった世界」などを比較してみなければ、複合的な条件で構成される世界への影響などわからない。いつでも科学は「今の所これで辻褄があうけど間違っているかもしれない」という精神でなくてはならない。この世の物理法則全てを説明できると長らく信じられてきたニュートン力学でさえも、アインシュタインによって修正された。科学は純粋なものでなくてはならない。しかし、政治や行政、医療は別である。そこではそのような曖昧な意見は許されない。「ワクチンを打てば、死ぬかもしれないし死なないかもしれません」「ワクチンを打てば、感染率が下がるかもしれないし、変わらないかもしれません。いまわかっている情報だけで言えば、そのような気がします。でも、全てを把握しているわけではないので実は真逆のことも起こり得ます」などとは言えない。だから、真実はわからないけれど、今わかっている情報でいえばこれが最善な気がします!という決断を医療や政治の世界では言わなくてはならない。しかし、権威主義の失墜した今は、秩序が崩壊した。科学、医療、政治の垣根はどんどんと曖昧になり、科学者や医師が政治に口を出すようになった。科学というシステムは正常な機能を失った。科学が政治利用されるようになって久しい。真実を追求するためのシステムに利権問題が絡めば、歪んだ真実が次々と生まれてくるのは当たり前のことだ。ますます権威は威厳を失っていく。むしろ、新たな存在、YouTuber、インスタグラマー、TikToker、いわゆるインフルエンサーたちの発言の方がよっぽど影響力のあるものとなった。医師や数学者が「富岳の演算によれば、マスクをつけていれば感染率が〇〇%から〇〇%になります」などというよりも、YouTuberが「ってかさ、マスクつけんのなんかさ、実際の効果うんぬんなんて知らんけど、マナーじゃね?しないやつやばくね?」と発言した方が市民は同調して従ってくれる。エンタメ界隈でも同じ現象が起きている。20年ほど前までは、ジャニーズ、エイベックス、ホリプロ、などの大手の芸能事務所にまだ権威があった。彼らこそが"芸能人"であり、ニコニコ動画から出てきた歌い手やボカロの作曲などはサブカルであって世間に浸透したものではなかった。しかし、今ではAdoを筆頭に、ボカロやニコニコなどのネット育ちのコンテンツが世間に広く認められるようになった。大手のYouTuberも下手なテレビにでるタレントよりも多くのファンを抱えることになった。VTuberでも億という金を動かす人がゴロゴロと現れはじめた。そして新たなコンテンツが生み出した新たな権威、UUUM、ホロライブ、なども浮き沈みを繰り返している。安定した権威は今や存在しない。このことに気づき始めた多くの人は、自分の意見をネットに投稿しはじめることとなった。ネットを見渡せば今や誰でもかれでも批評家気取りだ。(私も人のことを言えたものではないが。)"自分で情報の真偽を判断しなければならない時代"とは、言い換えれば"好き勝手に正義を定める時代"であり、"偏った情報をかき集める時代"だ。右向け右のできない時代に、あなたは何を信じて生きていきますか。