ビー玉ひとつ
小学一年生の夏、僕はクラブ合宿でとあるペンションに泊まっていた。
小学生のクラブの合宿だから、そこまでハードな1日ではない。
昼と夕方に練習があり、それ以外は自由時間だった。
高地の山の中、自然に囲まれた場所に合宿所は立地していたので晴れていれば外でウスバカミキリでも捕まえて遊んでいた。
しかし、その日は雨で、僕たちは暇していた。
他のみんなが何をしていたのかは忘れてしまったけれど、僕はYくんと暇な時間を潰していた。
僕はポケットからビー玉を取り出して、Yくんにこれで遊ぼうともちかけた。
Yくんはいいよいいよとノリよく快諾してくれた。
Yくんは筆箱から鉛筆キャップを取り出して、机の上に立てた。
僕は指でビー玉を机に押し当てて、勢いよく発射させて的を倒した。
次はYくんの番。
Yくんも問題なくビー玉を倒した。
「簡単だね。」
「そうだね、じゃあ、これならどう?」
Y君はビー玉の発射位置とキャップの間の丁度真ん中に消しゴムを置いた。
「これで、どうやって倒すの?」
「こうしたらいいんだよ」
Y君はビー玉に親指と人差し指の二本の指を同時に押し当てて、横回転を加えながら打ち出した。
先ほどまでまっすぐに的に飛んでいったビー玉が、今度は綺麗な弧を描き消しゴムを避けて見事キャップを倒した。
「すげえ!じゃあ、これなら3点だ!!」
「いいね!ストレートが1点で、カーブが3点ね!」
「じゃあさ、じゃあさ、5回ずつ打って、総合ポイントが高い方が勝ちね!」
「そうしようそうしよう!利き手じゃない方で打って当てたら+1ってのはどう?」
「それもいいね!!三連続で当てたら+5ってのはどう?」
「いいじゃん!!」
僕たちはその後もルールをたくさんつくり、ゲームバランスを調整して楽しんだ。
クラブ活動そのものよりも、僕はYくんとビー玉で遊んだことが楽しくて仕方なかった。
大人になった今だから、それがどれだけ稀有なものかわかる。
今は”ビー玉”がたくさんある。スマブラやポケモンみたいなテレビゲーム、居酒屋での飲み会、ダーツやビリヤード、ディズニーランド、etc.
ビー玉とそれらを比べたら、楽しむ難易度は格段に違うだろう。
一緒にテレビゲームをして楽しめる相手、一緒にディズニーに行って楽しめる相手はたくさんいるだろう。
しかし、一緒にビー玉ひとつで楽しめる相手がどれだけいるだろうか。
この時、Yくんも同じことを考えていたらしく、Yくんが不意にこういった。
「すげえな、いまり!楽しいってつくれるんだな!」
いまでも僕の中でこの言葉は僕の哲学というか信条のように生き続けている。
「楽しいは創れる」
そうなんだよな、何をするかってのは対して重要ではない。
誰とするのかの方が大切なんだ。