飴玉

一つの飴玉を舐めきるのに、何分かかるのかを測ってみたことがあるだろうか。 僕はある。13分弱だった。使用したのは至って普通の飴玉で、直径は百円玉ぐらいの大きさのブドウ味だった。ところで、僕はブドウ味のキャンディーが好きだ。しかし、そんなことは今はどうでもいい。飴玉が口の中に入り、ひとときの甘美な時間を僕に与えてくれる。そして、その猶予は13分弱だった。

僕は小学生の頃、近所でも評判のスパルタの塾に通っていた。60代ぐらいのハツラツとしたおばあちゃんが一人で切り盛りしている塾で、怠けた生徒には昭和仕込みの鉄拳が待っていた。早寝早起き朝ごはんと念仏のように唱えさせられたり、雑記帳と清書帳と各教科にノートはそれぞれ二冊書かされた。僕はそこで、あまり真面目な生徒ではなかった。よく宿題もサボっていたし、授業中に寝たりもした。授業中に大声で怒鳴られ、みんなの前で泣きべそをかいたりしていた。その塾は90分という小学生には長い授業時間がであった。普段の小学校の45分の授業も耐えきれない僕にとってその塾は苦痛でしかなかった。しかし、確かあれは毎日ではなかったが、先生が飴玉をくれることがあった。90分という時の牢獄の中で苦しみ喘いでいた僕には、その飴玉はせめての救いであった。回ってきた飴玉の袋の中からブドウ味の飴玉を選びとって取り出した。その飴玉は、綺麗な球体状の形をした大玉であり、なかなかなめごたえのあるものであった。糖分は勉強するエネルギーになるから、これを舐めたらより一層頑張るようにと念を押されて僕らは食べた。そして、先生も同時に一粒、口に放り込んだ。しばらくたってから、先生が口を開いて飴玉を生徒たちに見せた。その残り玉は、僕の口の中の残り玉よりも明らかに大きかった。子供の考えることは単純だ。ずるい、羨ましいと思った。そして、先生は飴玉はそっと舐めると長く楽しめる。コロコロと歯に当てたり、ガリガリ噛んだりしてはだめだと言った。大切に少しずつ舐めれば長持ちするのだと。その話のした次の日からは、子供たちが互いにどれだけ口の中で飴玉を取っておけるかを競い合い自となった。先生も子供に負けじと競っていた。僕は皆を出し抜いてやりたいと思った。ある日、僕は配られた飴玉を皆と同時に口の中に入れて、しばらくしてから他の子にみられないように飴玉を包み紙に吐き出した。そして、10分ほどたってから再び口に戻した。そして、教室の全員が飴玉を舐めきったタイミングで満を持して口を開いて周りの友人に見せた。周りはすごいすごいと褒めてくれたので、調子に乗って続けて僕は飴玉をガリガリと嚙み砕いた。その音を聞きつけた先生が僕の頭にゴチンと一発ゲンコツをかました。僕はやっぱりこの塾が嫌いだ。小さな子供が、目の前のたった一粒の飴玉を包み紙に戻して誘惑に負けずに我慢することにどれだけの忍耐が必要なのかを知っているのかと言ってやりたくなった。しかし、そんなことをいえば全てが水の泡になってしまう。僕はまた一人、情けなくなってほろほろと泣いた。

今でも飴玉を口にいれる時に、そんなことを考えることがある。 この一粒の飴玉は、何分、僕の口の中で、甘い幸福を与えてくれるのだろう。