気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

野望

今日は午後の講義をサボった。言い訳するつもりはない。眠くて寝ていた。間に合う時刻にはアラームも設定していたので一度は起きた。行こうと思えば行けた。しかし、眠かったので辞めた。そういう日もあるだろう。そして夜に目覚めて後悔の念に苛まれる。何か生産性のあることをしなければならないと思い込む。そして、夜更かしをしてまた明日の昼に眠くなるのだろう。そういう感情の起伏のイタチごっこを幾度となく繰り返してきた。なんとなく本棚から本を取り出す。ヒラリークリントンについて書いてある。彼女はgrass celling crackerとして"女性のできなかったこと"を次々と突破してきた。アメリカ合衆国初の女性大統領になることこそ叶わなかったが、彼女の華麗な経歴には目を見張るものがある。それは生まれが良かったとか"運"一つで語ることのできないことだろう。僕なんぞと彼女を比較すること自体がおこがましいが、世の中に存在する偉人たちを知るたびに、僕は何をやっているのだろうかと思ってしまう。あまりにもちっぽけな自分に、周りに与えられてばかりの自分に、いつまでも巣立たない雛鳥のような気分になってしまう。もっと賢くなりたい、もっと何かを人に与えられる人間になりたいと思う。しかし、僕に何ができるだろうか、僕を必要としている人間なんているのだろうか、そう思うと憂鬱になってしまう。「僕はここにいる!僕はここで生きている!誰か僕を見つけて!」そう叫びたくなる。偉人たちは何を追い求めていたのだろうか。社会を、他者の心を、人を、動かすことのできる人間には野望があったのではないか。生まれ持って、育った環境で抱いた、社会への責任感、自己の存在意義、そういったものが偉人たちを時代の寵児として駆り立てたのではないだろうか。僕も小さな野望を一つ持ってみたいと思う。僕には社会を変えられるような大きな力はない。小さい頃、何かのテレビのドキュメンタリーでアフリカの飢餓問題について放映していた。無知だけど無垢でもあった僕は、父親に「彼らを助けてあげたい。だから僕のご飯を送ってあげて」と言った。しかし父親にそれはできないと言われた。父親は小さな僕に、経済の事や、地球の規模、慈善団体の事実などをわかりやすく丁寧に説明してくれた。じゃあ僕はどうすればいいのと 父親に泣きつくと、父は「周りの人に優しくしなさい」と言った。スモールワールド現象という言葉がある。六人の知り合いを介すると世界の誰にも繋がるということだ。ちっぽけかもしれないが、僕が両手で抱えられるだけの人間に優しくして、幸せを分けてあげられれば、そしてまた誰かが周りの人に優しくしてあげたら、その優しさの連鎖が、正の流れが続いて行けば、世界は少しずつよくなっていく。そしてその反対のことも起こりうる。だから、大きな問題にとらわれて周りの小さな問題を忘れてはならない。木を見て森をみぬという言葉もある。しかし、その逆もまた然りだ。だから僕は「周りの人を幸せにする」ことに決めた。僕はそのために、できるだけ知識をつけて、人生経験をたくさん積んでこようと思う。だから、この文章を読んでいる僕の友人の君も幸せにするからね!!と僕の野望を話してみるのです。