【 バケットリスト】を100個、理由付きで作ってみた。
はい。前回の記事が誰にも読んでもらえなくて泣いているねおらるです。
まあ、だいたいそんなもんだよねブログなんて。
はじめたばっかりだし。
気を取り直して、今回は!バケットリスト(映画:最高の人生の見つけ方(英名:Bucket List)からその名前が浸透)とも言われる、人生でやりたいことリスト100を作成してみました!
みなさんも一度はつくりたいと思ったことがあるのではないでしょうか。つくったことがない人は今後作るときの参考にしてみてくださいね!さっそく、どうぞ!
ねおらるのバケットリスト「説明付き」
1. ベテルギウスになりたい。
スマホ中毒の大学生が1週間スマホを禁止してみた結果
こんにちは。LA在住中の絶賛、モラトリアム満喫中の大学生です。
今回はスマホ中毒の僕が「スマホを一週間ずっと触らない」ということを実行して、どうなるのかとふと思いついて実行してみたので、その結果についてお話ししたいと思います。(あくまでスマホの使用を禁止するだけで、パソコンなどの他の電子機器の使用は普段通り行いました。)
今回は、スマホを禁止してみて感じたメリット、デメリットで分けてお話ししたいと思います。
【メリット】
・歩きスマホorイヤホンしながら歩くをやめた。
⇨周りにオープンになって、人当たりがよくなり、よく話しかけられるように。
私は典型的なスマホ中毒の大学生なので、いつもスマホを片手に行動していて、トイレに行くにも、洗濯物を取りに行くのでも、とりあえずスマホを抱えて行く癖があります。いつものように大学の駐車場に車を止めて、さあ、教室まで歩いて行こうと思うと、耳にイヤホンをつけてスマホでSNSをチェックしながら歩く。そんな日々でした。歩きスマホはよくないとわかっているけれど、ただ歩いていると手持ち無沙汰になってついついいじってしまっていました。禁煙できない人の気持ちってこんな感じなんだろうか。しかし、スマホを禁止してみて、さきほど言った通り手持ち無沙汰なので周りを観察するようになりました。キャンパスを見て見ると、多くの人がつい2、3日前の自分と同じようにイヤホンをして、歩きスマホをしながら歩いて行きます。驚くほど、多くの人がそのようにして歩いていることがわかりました。7〜8割ぐらいはそんな感じでした。むしろ、友達と雑談しながら歩いているような人をのぞいて、大半の一人で歩いている学生の片手にはスマホがありました。そんな中、キョロキョロ周りを見ながら歩いていたので、変質者のように思われるかとも思ったけど、そもそも歩きスマホをしている人は私には気づいていない人がほとんどでした。なんだか、別世界にきてしまったかのよう。(大げさ。)そんな風にしていると、校内で迷子になっている学生に頻繁に声をかけられた。私の大学のキャンパスは少し広めで、構造がわかりにくいのでよくこういうことがあります。もしかしたら、歩きスマホは出会いを妨げているかもしれない。(ちなみに、このおかげかは定かではないが友達が2人増えました。)
・ながらスマホをやめた。
⇨テキパキ動くように。
洗い物や洗濯、掃除などの日々の雑務をこなす際に、それだけだとなんとなく寂しいような気がして私はYoutubeで動画を探して作業用BGMにしたり、音楽を聞いていました。そのため、「よし、洗濯物たたむか。」⇨「じゃあ、作業用のBGMでも探しそう(スマホいじる)」⇨「あ、普通に動画見ちゃってたわ。」ということで時間のロスをすることが多かった。(本当に情けない話。)スマホがないので、しぶしぶ雑務を直接こなした。すると、面倒臭いことは早く済まそうとして集中するので早く終わるようになった。
・睡眠習慣の変化
⇨ 睡眠時間が増えた。自然に起きるように
私はスマホのアラーム機能を目覚ましとして使っています。今時は目覚まし時計を持っている人は少ないのではないでしょうか。しかし、これまた情けのない話ですが、私は寝る前にアラームをセットするためにスマホを開き、そのままYoutubeやTwitterなどのSNSをいじり続けて夜更かしすることが多いです。単純に睡眠時間が落ちるだけでなく、スマホのあかりにはブルーライトが含まれていて睡眠の質が下がり、次の日の活動パフォーマンスが落ちることは明白で悪いことづくめの割に覗いている内容は大したものではなく、本当に百害あって一利なしといったところですね。(理屈ではわかっていたけれど、もはや習慣となっていた。) 加えて、私は朝にアラームを止めてからしばらくスマホをいじって朝の時間を潰す習慣もありました(いい加減にしろ。) 一方、スマホを禁止してからは眠くなるまで本を読み、十分な睡眠時間をとって自然とアラームなしで目覚めることができた。気持ちのよい朝だった。
・読書時間が増えた。
⇨隙間時間が暇なので、読書をするように。
バスでの移動時間、授業の空きコマ、友達との待ち合わせ、寝る前の少し、洗濯物が終わるまでの時間、など1日に少しだけ暇な時間というのは意外とたくさんあるのだなと実感することができた。今まではスマホをいじっていたのであまり実感することはなかった。その時間を、誰かに話しかけたり、読書をしたりと、少しは社交的(?)になれたかもしれない。私は読書はとても生産的で、スマホをいじるのは害悪だと一概に断じるつもりはありませんが、こと私に関しては、スマホでやるのはSNSでくだらないポストを友達に送りつけるか、ソシャゲーで遊ぶかぐらいのものだったので、読書の方が何倍も生産的でした。この一週間で「羊をめぐる冒険(下):村上春樹」と「おまけのこ:畠中恵」の2冊を読むことができた。読書は以前から好きではあったけれど、スマホをいじるという目先の快楽に踊らされて時間を割けていなかったことに気がつくことができた。
・スマホゲームに時間を費やさなくなった。
私はスマホゲームに関しては、ヘビーユーザーではないが、「気がついたらしばらく遊んでいた。」ということが多々あった。しかも、改めてスマホを禁止してみて気づいたことだが、やらないならやらないで大した感慨も湧かなかった。思い出すことすらなかった。しかし、スマホを触るとついついそのアプリを開いてしまうのだ。恐ろしい。パズドラをリリース当時からプレイして、相当課金もしているヘビーユーザーの友達に一度、「パズドラって面白いの?」と尋ねた結果。「正直最近はつまらない。でも、ここまで続けてきたし、なんかもったいなくて惰性で続けている」と言っていた。確かに、スマホゲームってそんなもんだ。友人とわいわいやっている間は楽しいが、周りが冷めても惰性でやってしまうような構造になっている。(ログインボーナスとか曜日イベントとか再びアプリを開かせることに各会社は努力を惜しまない。)
スマホ禁止にしている間が丁度、日本の同年代の卒業シーズンで、インスタやLINE、Facebookに卒業式の写真などの投稿がたくさん溜まっていて、新鮮でおもしろかった。SNSは毎日延々と張り付くよりも、たまに見るくらいの方が、面白いのかもしれない。
・1日が長く感じた。
総合的な話になるが、上記のことなどがあり、以前よりも1日が濃いものになり、長く感じることができた。
【デメリット】
・写真データへのアクセス
スマホの写真機能で板書を撮っていたものや、授業の時間割など、リファレンスのように使っていた写真データにアクセスできなくて少し困ることがあった。
・ミュージックプレーヤーがない
近年は、私だけでなく多くの人がそうだと思うが、音楽再生機器としてもスマホを使用している。この後の、アイスホッケーの話に繋がってくるのだが、私は試合前はお気に入りの曲を聞いて、すこし精神統一をして気持ちを作って試合に望むのだが、この時はスマホがないのでそれができなかった。ルーチンになっているので、これは少し困った。また、ルームメイトの笑い声がうるさくて勉強に集中できないときに耳栓としても使っていたのでそこでもスマホを使いたいなと思うことがあった。
・車のナビ
私の自家用車にはカーナビが搭載していないので、スマホを運転席の横に固定してナビゲーションアプリを使っていたので問題だった。通い慣れた大学ぐらいなら、ナビは必要なかったけれど、その週には私が所属しているクラブのアイスホッケーの試合があったので、すこし遠出しなければならなかった。初めて行く場所ではなかったけれど、不安だったので、Google Mapで行き方と戻り方を印刷して向かった。しかし、結局迷子になった。近くまでは来れたが、途中のハイウェイで1つか2つほど手前の出口で降りてしまい、道路の両脇に立ち並ぶ街路樹と淡いオレンジ色の街灯がおしゃれなダウンタウンについてしまった。「うわー、めっちゃおしゃれー。こんなところあったんだー。」とか言いながら内心めちゃくちゃ焦っていた。たまたま、街中にアイスリンクの方向を示す看板があったので、それを頼りにたどりつくことができた。異国の地で、車に一人で迷子だなんて、本当に心臓ばくばくの経験だったけれど、良いカーナビが無い時代はみんな地図を片手にさまよっていたのかと思うと年配の世代の方を尊敬します。スマホに頼ってばかりですいません。
・友人との連絡先
アメリカはフランクなので、キャンパスのその辺で少し話して新しい友達ができたりしますが、その時に連絡先を交換しようといわれて困ってしまいました。こんな感じで説明すると「I am testing myself. I am observing what will happen if I don't use my smartphone for one week.」 「That's a good idea! I am also addicted using a smartphone! Let me know the feedback!」みたいな感じで返されました。
また、友達からのメールにレスポンスできなくて、少し、いや、かなり怒られた。「Do you have free time on this weekend?」「Hey! Are you ignoring me?」(悲しそうなスタンプ)みたいなメッセージが溜まっていて、怒られました。仲の良い友達だったので、
笑い話で済みましたが、そうじゃない場合もあるかもしれないので気をつけないとですね。
・精神面への影響
最初の三日間ぐらいは孤独感を感じた。大げさかもしれませんが、私は寂しくなりました。自分の存在を誰も認めてくれないような気がして、誰も私を認知していないような気がして、自分が世界にひとりぼっちなような気がして、孤独感に包まれました。しかし、何日かたつとなれました。その反動でスマホ禁止が終わってから、めっちゃSNS更新しました。自分がいかにSNS中毒なのかを実感できました。おそらく、すごく仲の良い友達が大学にいれば、寂しくもないのでしょうが、私には日本の大学や中学時代ほど仲の良い友人はまだ数人しかアメリカにはいません。一人が寂しいのではなく、日本の友達が恋しいのかもしれません。こちらの友人とは、やりとりも英語になるので本音の本音を話すことができなくてそのフラストレーションがあったのかもしれません。
・その他、小さいデメリット
僕はたまに、「僕は車通学だからバスは使わないけれど、バス通学だと往復で1日3.5ドルだから、年間にするとどれくらいだろう。それって車のガソリン代より安いかな高いかな」など、ふと電卓を使って計算したい思うことが多々あるのだが、スマホの内臓アプリを使っていたので不便に感じた。
ちょっとわからない単語があったりしても、すぐにググれない。
【 まとめ】
いかがでしたでしょうか。ありきたり、そんなもんでしょって内容だったでしょうか。空いてる時間に読書がしたい、まとまった時間があったら運動したい。自分の趣味に当てる時間が欲しい。日々のタスクをこなしていると、それだけで精一杯。そんな風に思ったことはありませんか? 僕はそこまで、切羽詰まっているわけではありませんが、なんとかもう少し生産的な時間を生み出したいなとおもっていました。そして、スマホが悪いわけではないけど、スマホに無数に入っている時間つぶしのツールをついつい開いてしまい、時間がなくなっている。そんな風に感じたので、思い切ってスマホを1週間使わなかったらどうなるのか、自分自身でテストをしてみました。結果は効果ありでした。スマホのデメリットに振り回されないために、そしてメリットを活用できるように今後の方針をまとめました。
・ゲームアプリを消す。
・朝晩の1時間はスマホをいじらない。
・隙間時間にスマホをいじらない。
いろいろと学ぶことの多い一週間だったので、機会があれば、スマホ中毒の方は体験してみることをお勧めします。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想や、質問などありましたら、私のツイッター(@_neolalu)までご連絡ください。
食べ損ねたパンケーキ
今から 僕が話をするのは、もし "未来" というものが既に存在していて、私たちはX軸のある値、"いま" にいて、正の方向に向かって私たちが時間を移動していると考えたらの話だ。
あなたは、何かを "手に入れた" ことがあるだろうか。もちろん、具体的な意味ではなく、"所有する"、"得る" といった意味の話だ。答えはきっとイエスだと思う。僕だって、限りないものを手に入れてきた。ガラスでできた水色のトカゲとか、黄色いブタの貯金箱とか。ところが、いまになってそれは本当に "手に入れた" のだろうかと疑問を抱き始めたのだ。
例えば、あなたの家に、あなたの読んだことのない本がある。"既に存在している未来" によれば、あなたは死ぬまでこの本を読むことはないらしい。では、あなたはこの本を手に入れたのだろうか。
「たとえ使わなくたって、例えば、読むことも、破ることも、燃やすことも、売ることも あなたがその本を自由にできるのだから、それは手に入れている。」
そんな声が僕には聞こえる。
違う話をしてみよう。あなたにパンケーキを食べられるチケットをあげよう。あなたは、僕の家にくればいつでもパンケーキが食べられる。シックな座り心地の良い椅子と、真っ白なテーブルクロスをひいたダイニングテーブルで、綺麗な白いお皿で、サービスに生クリームとバニラアイス、それにお好みで はちみつとメープルシロップも用意しよう。とすれば、あなたは今、パンケーキを手に入れたのだろうか。ところが、既に存在している未来によれば、僕がせっかく利用権を譲ったというのに、あなたはこのチケットを使うことはないようだ。では、あなたはパンケーキを手に入れてないのだろうか。うん、きっと手に入れてないだろう。
「いつでも自由に使える」そういった意味では、本もパンケーキも同じだ。それでも、君は何かを手に入れたとはっきりと言えるだろうか。
時間という概念の前では、手に入れるという行為は全て、仮定的、一時的なものでしかない。
きっと、僕は今まで、"手に入れた" "僕のもの" と思っていながら、既に存在している未来で食べ損ねるパンケーキがたくさんあるのだと思う。
あなたには、食べ損ねたパンケーキがありますか?
「日本の大学をやめて、アメリカの大学で3ヶ月過ごして見て思ったこと」
日本の大学をやめてからの現在
現在、僕はアメリカ西海岸の大学で英語とComputer Scienceを勉強している。今でも意思疎通がスムーズにできずに戸惑うことはあるが、大体は相手が何を言っているのかがわかり、少し時間がかかるが、自分が言いたいことを伝えられるくらいになってきた。外国人の友達もできて、毎日がとても楽しい。こちらに留学する前に、僕は日本でS工業大学に通っていた。そこでは、成績も悪くなく、日本人の大学生らしくなく授業にもきちんと出席していたので大学をやめる時に友人や教授には驚かれ、反対をされた。決して悪い大学ではなかったし、そこで出会った友達も好きな人が多く、今でも連絡を取り合っている。
答えなんてあるはずもない「幸せ」について考える
では、なぜ大学を辞めたかというと「人生は短い」ということに気づいたからだ。高校生の頃の僕は「まだまだ自分は子供だし、若い。別に今は人生の目標とか、生きる希望とか、生きがいみたいなものについて考えなくていい」と思っていた。そして、「花のような大学生活」が僕には待っていて、そして「人生で最高に充実した四年間が待っていて、生きがいと仕事と人生の友達、そして生涯のパートナーを見つけられる。」私は大学に行けば、人生はそのように自動的に動き出して、「幸せ」になれると思っていた。この希望はあながち間違いでもなかった。そこでは「仕事」「友達」「パートナー」を見つけることができた。誰かは僕にいうかもしれない。「友達、恋人、仕事」それさえあれば十分に幸せじゃないかと。人生にそれ以上のものなんてないと。確かにそうかもしれない。お金を稼いで、ご飯を食べて、友と遊び、家庭をもつ。そういう生き方を否定したいわけではない、言ってしまえば僕にとってもそれは「理想の将来」ではある。でも、僕には「まだその時ではない」と思えてならなかった。僕にはまだまだやりたいことがある。やりたいことを見つけられてない。そう直感的に自分の本心に言われたような気がした。
海外への憧れ、悔いの残らない生き方?
そして、外国人の生き方を知りたいと思った。どうしてたまたま、日本に生まれたからといって「日本の理想の生き方」を選択するべきなのだろうかと思った。「他の生き方」を知って、比較してもいいんじゃないかと思った。外国へ行ってもっと様々な「生き方」を見て見たいと思っていた。しかし、そのような本心に生まれた芽生えは「現実」の言葉たちが押し殺していた。「もう、就職率もよい大学に高い学費払って入れたんだぞ。4年経てば安定的な就職ができるんだぞ」「アメリカ行きたいとか意識高い系かよ。」「"意識が変わった。日本は狭い。"とか言いながら帰ってくるんだろ。」「20超えて、大学やり直しとか正気かよ。」確かにそうだと思った。急にあてもなく、大学を辞めるなんてバカな行為だ。「もったいのない」行為だ。就職が遠ざかる、これまでの学費が無駄になる、「理想の生き方」が遠ざかる。でも、ここで今やりたいと思っているアメリカ留学はとりあえずお金や今までの時間がもったいないから行かないという選択肢を選んだとすると、僕の人生にはきっとそれは永劫登場しないものとなっていたと思う。短期的(3、4年の期間)に考えれば大学を辞めるのは「もったいない」行為だと思った。けれど、生まれてから死ぬまでの人生においてどちらが本当に「もったいのない」行為かと考えるとここで「とりあえずやりたいことは我慢してこれまで通り生きること」だと思った。30歳になったときに、また40、はたまた70になった時に「あのときアメリカ留学しておけばよかった」と後悔したくなかった。
アメリカにて
そして、僕は泣く泣く仲の良い友人や恋人と別れて今、アメリカにいる。日本での僕はストレート入学ではない大学の同期に偏見を持っていた。別に差別していたわけではないが、浪人生や仕事を退職して大学に入っている人をフラットにみることができなかった。それは本人たちもそうであった。24才で大学に入った友人は年齢を周りに知られることを嫌がっていた。日本ではそういう学生は少なく、特異な目で見られがちだ。僕もそういった存在になるのかなと思いながら大学へ入り直した。アメリカではあまり、そういうことはない。というのも、私の通う大学はコミュニティカレッジなので、私の両親の年齢のような人たちも通っている。私とまったく同じようなことを考えてアメリカにやってきた外国人もいる。だから、むしろ馴染んでいるかもしれない。類は友を呼ぶという言葉を海を越えて実感をしたような気がする。断っておきたいが、私は日本が大好きである。「日本はだめだ。これからはアメリカだ。中国だ。」「日本の教育はいかに間違っているか。」そのようなことが語りたいのではない。むしろ、海外で生活したこともない人が「一部のブラック企業や部活動、習慣などをあげて、いかに日本がおかしいか」とネットなどでさも全てを知っているかのように語っているのをみると腹が立って仕方がない。私には海外をしれば知るほど、むしろ日本は安全で自由のある国だと思えてならない。もちろん、辛い思いをしている人もあるだろう。でも、正直「最低」について語るのであれば海外にはもっと過酷で残酷な環境は無数にある。日本は明らかに生活水準も高く、自由がきく。
2年生の終わりに大学をやめてから、1年間日本でバイトと英語の勉強に明け暮れて、渡米した。正直、そんなに自身はなかった。英語の成績は昔から芳しくなく、大学も理系だったのでそこまでセンター試験などのスコアも高くなくてよかった。しかし、海外留学をするとなるとネイティブと同じ環境で「英語で」学ばなくてはならない。海外留学をするには「TOEFL」という試験が必要になる。私は大学で「TOEIC」は受けていたが(大学を辞める前のスコアは500ぐらい)、全然レベルや内容の違うものだった。半年勉強してギリギリでコミュニティカレッジに合格するスコアを取ることができた。
一抹の疑問
しかし、不意にこれでいいのだろうかと思うこともある。それは日本人の存在である。アメリカ西海岸、ひいてはカリフォルニア州にはたくさんの日本人がいる。私の大学でも日本人のコミュニティが出来上がっている。彼ら(私も含む)はもちろんアメリカにきたくて、きていて、英語を伸ばしたいと思っている。しかし、どうしても日本人がいると日本語に甘えてしまう。中には授業以外は日本人といてほとんど英語を使わない人もいる。せっかくアメリカにきたのにこれでいいのかと思ってしまう。正反対に日本語を一切使わないという枷を自分にかけている女の子もいる。日本人とは一切つるまず、メディアも英語のものだけを使い、日本の友人との連絡も絶っているという人もいる。僕はバランスが大切だと思う。英語は使える限り、積極的に使うべきだし、日本語を極端に禁止する必要もないと思う。しかし、「日本語に甘えない」彼女のストイックさは見習わなければと思う。さて、話が右往左往して一貫性のない文章になってしまいましたが、胸のなかにあった「言いたいこと」は吐き出せてスッキリしたのでこれぐらいで今回は失礼します。この記事を最後まで読んでくださった方が人生を謳歌できることを祈っております。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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