気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

コンテンツの使い方

こんにちは。室賀いまりです。

僕は時々YouTubeに動画を出したりしているのですが、先日知らない人から、こんなコメントが届きました。

「4回再生ってwwww」

「もっと、面白いサムネにした方がいいですよww」

「ゲーム下手くそでワロタ」

別に傷ついたわけではないんですが、正直イラッとしました。イラッとした理由は、価値観の押し付けからです。僕がYouTubeに動画を出したりすると、友達は口々に「室賀もYouTuberになったのか」と言います。もし、YouTuberの定義をYouTubeに動画を投稿している人全員と定義するなら確かにそうですが、YouTubeで収入を得ようとか不特定多数の人に何かを見てもらおうと思っている人を指すのであれば、僕はYouTuberではありません。僕は友人に向けて動画をあげています。暇な友人がたまに一人か二人動画を見て話のネタにでもしてくれればそれでいいのです。感覚的には、教室で隣の子に「ねえ、みてこれ」って話しかけて授業中のノートのラクガキを見せている感覚に近いです。先程のコメントをこの例で例えるなら、そうやって友達に落書きを見せていたら傍から知らん奴が急に割り込んできて「なんだその絵は、写実的でもないし、表現力も、技術力もない、改善点が多すぎる、下手くそだ」などと批評してくるようなものです。誰やねんお前は。もちろん、インターネットに公開している以上、誰が観る権利もあるから、知らない人が観ても構いません。また先程の例に沿って言えば、傍から知らない人が「なにそのラクガキ面白いね」と話しかけてくれば、友達になれるかもしれません。例えネットであっても、そのくらいの小規模で温かみのある利用方法を僕は求めています。僕は工学部だから、テクノロジーがそういった人間に寄り添ったものであることを望んでいます。もっとこういう考え方が広まれば良いなと個人的には思っています。興味を惹くようなサムネにしたり、バズるのを求めてネタポストをしたり、たくさん人を集められるように創意工夫をするのを一概に否定するつもりはありません。しかし、実はそういったSNSの利用方法は人間の精神に悪い影響を与えます。陰謀論とか、テクノロジー否定とか、自然主義ではありません。僕が言いたいのは、何にでも長所と短所があるという話です。人間の精神状態を安定させるものにセロトニンという脳内の伝達物質があります。セロトニンの分泌量が少ないとストレスを受けやすく、心が不安定になります。セロトニンの分泌量は自分の立場に依存します。例えば、ボスザルと普通の猿で比較するとボスザルには比較的多くのセロトニンが発見されます。または会社の上司と部下、先生と生徒などでも同じような結果になります。または、パートナーを失ったり、友人からの信頼を失ったと感じた時にも、セロトニンの分泌量は下がります。要するに比較問題なのです。だから、現代のSNSなどで自分の成功体験や華々しいものをシェアする文化は多くの人の自信を奪う、つまりはセロトニンの分泌量を下げることにも繋がります。もちろん、その逆もあるでしょう。運良く、SNSで多くの人から注目を集める人物になれたとしたら、お山の大将になったような気がして(セロトニンの分泌量が増え)、自分が偉くなったと感じられます。いわゆる、インフルエンサーと呼ばれる人たちが自信に溢れ強い言葉で断定的な発言を繰り返すのはこのためです。しかし、そのような立場の人間は一部であり、利用者のほとんどはノンインフルエンサー(今勝手に作った造語)です。利用者のほとんどはインフルエンサーたちの生み出す無限のコンテンツに惑わされ、自信を失って、自己表現をやめていきます。中学校の教室を思い返してください。みんなで美術の絵を描くことになりました。みながそれぞれ絵を描いています。そんなとき、突如として黒板がスクリーンへと変わります。そして、そのスクリーンには世界中のとびきり上手い絵が次々と表示されます。とても綺麗な色使い、繊細な写実に目を奪われます。そして、ふと我に返り、手元を見ると、自分の描いていた絵がとても見窄らしいものに見えてきます。自信を失った多くの人が自身の才能に見切りをつけて絵を描くのをやめていきます。そんな中、あるクラスメイトの一人はめげずに自分の絵を描き切り、隣の子へと見せます。しかし、隣の子はスクリーンに映される世界の絵画に夢中でクラスメイトの絵には目もくれません。そんな様子が実際に再現されてしまっているのが、今のSNSの現状ではないでしょうか。そして、自信を失った人々の一部は、自分を高めるのではなく、人を貶めたり、自分よりも下の人間を探して徘徊します。そんな人が攻撃的なコメントを書いたりしてしまうのではないでしょうか。デジタルデトックスの話題では取り上げられやすいので、聞いたことがあるかもしれませんがセオドアルーズベルトの言葉で「Comparison is the thief of joy(比較は喜びを奪う)」という言葉があります。悲しきかなこれは真実で、現代社会では常に自分よりも上の成功例をまざまざと見せつけられることが多いです。しかし、ぶっちゃけ、世界一の何かなんてどうでも良くないですか。知らん人がオリンピックで優勝してるのよりも、親友が地区大会で優勝した方がよっぽど嬉しいものじゃないですか。バンクシーの絵よりも、自分の息子の描いてくれた自分の似顔絵の方がよっぽど心を動かしてくれるものじゃないですか。別に世界と競いあう必要なんてなくないですか。今の世界は、多忙中毒で、忙しいことを美徳として、無限に"顔も知らない一流"からのコンテンツが届き続けます。でも、そこに幸せはないんじゃないかなと思います。

先ほども言ったとおり、僕は工学部のエンジニア志望です。テクノロジーは人を幸せにするためのものです。しかし、世の中は綺麗事だけでは動きません。世界にはシステムが溢れ帰っています。会社とは利益を生むためのシステムです。そして、そんな"会社"が生み出したのが、TwitterYouTubeTikTokFacebook、その他もろもろのSNSです。SNSというシステムはお金を稼ぐシステムです。そのために、人々を魅了して依存させるシステムです。そこには善意も悪意もありません。ただ最もお金を稼ぐことのできる最良のアルゴリズムを追求しているだけです。だから、個人にとって良い影響も悪い影響も与えうるのです。僕は、より多くの人々に注目を浴びるために躍起になる競争社会のためのSNSではなく、友人とコミュニケーションを取るためのSNSでありたいと思いました。だから、今後も小規模でやっていきます。そして、増えすぎて自分の手に負えないと思ったら、それは手放してまたゼロからやっていきます。これが僕のコンテンツの使い方です。あなたはどうコンテンツを使いますか?

ひき逃げする人の割合は?

こんにちは、室賀いまりです。この記事は、別にバズらせようとかたくさんの人に読んでもらおうと思っているものではないです。この記事を読んでくれる僕の友人達が、頭が硬くならず、広い視野を持った人間であってほしいと思ったから書きます。お前に言われなくてもそんなこと知ってるわと言ってくれるのを期待してます笑。

さて、本題に入りましょう。先日、伊藤健太郎さんが再びテレビに出演しました。そして、ネットでは叩く人もいます。(

伊藤健太郎に「言い訳するな」の声 「逃げている認識なかった」TBSインタビューに賛否広がる (J-CASTニュース) - LINE NEWS) 彼が実際、反省しているかとかこの件がひき逃げに当たるのかとかそういう議論は僕にはどうでも良いです。他人の心の中なんて、除けないんだから相手が反省していると思うのも、反省してないと思うのも、その感情の所有者である誰かによるものでしかありません。話が逸れました。僕が今回、言及したいのは、今回の伊藤健太郎さんのケースに関して、「ひき逃げなんて、最低だ。そういうところで人間性が現れる」と主張するような人に対してです。ここで、より詳しく話をしていく前に、視点の整理をしたいと思います。人間が討論をするときに、意見が食い違うのは視点の整理ができていないからだと僕は思っています。視点の整理とは、すなわち、その話し合いが、感情論なのか、論理的な話なのか、倫理的か、統計学的か、etc.といった感じです。まずは、倫理観的な話からしましょう。倫理観的な話からすれば、ひき逃げは良くない行為だししてはいけません。怖くても、起こした事故には対応する義務があります。以上です。今回は、倫理的な話は主題ではありません。なぜなら、誰でもわかるからです。次に、心理学または統計学的な視点から、ひき逃げについて考えてみましょう。ようやく、今回のタイトルを回収できます。ひき逃げする人の割合について調べてみましょう。まず、ひき逃げの定義からです。ひき逃げとは、「ひき逃げ/轢き逃げ(ひきにげ)、または救護義務違反(きゅうごぎむいはん)は、人身事故(人の死傷を伴う交通事故)の際に道路交通法第72条に定められた必要な措置を講じることなく事故現場から逃走する犯罪行為。物損事故(建造物損壊や、他人のペットを死傷させた場合も含む)の場合は「当て逃げ」(あてにげ)と呼ばれる。 (wikipediaより)」要約すれば、人身事故を起こして逃げた場合にひき逃げとなります。よって、(ひき逃げする人の割合) = (ひき逃げ件数)/(人身事故件数)で簡単に出せます。新しいデータを探すのが少し億劫だったことと、少しの年数で人の人格が大きく変化することもないと思うので、平成29年度のデータでひき逃げする人の割合を出してみたいと思います。まず、平成29年のひき逃げ件数は15736件で、同じく平成29年の人身事故の件数は32654件です。計算すると、ひき逃げする人の割合は小数点第三位で四捨五入をして、0.482、すなわち48%の人がひき逃げをしたという計算結果になります。わかりやすく言えば、二人に一人が事故を起こした時に逃げてしまうのです。ここから、導き出される答えは、人間とはそんなもんだってことです。倫理的な観点で先ほど、ひき逃げは最低だと話ましたが、つまり、人間の半分は最低なやつなんです。そんなもんなんですよ。例えば、あなたの高校のクラスメイト40人を思い出してください。仮に、40人全員が人身事故を起こしたとします。(とんでもないクラスになりますが仮定の話なので笑)そのうちの半分はキチンと救助をしたり救急車を呼びますが、そのうち半分はその場を逃げます。逃げる顔達の中には、あなたの親友がいるかもしれませんし、あなたの彼女がいるかもしれないし、あなた自身がいるかもしれません。その確率は意外に高いのです。だって、48%なのだから。(ここでは「俺はそんなことはしない!」と憤慨するのが正解です。)さて、これは極論でしたから、実際にはそうならないとは思いますが、統計的なデータはそういう汚い実際の人間の有り様をはっきりと示しています。ここからは、僕の考えについて話したいと思います。この話は、「だから、伊藤健太郎は悪くない」とか「ひき逃げするのも仕方ないよね」などと結論づけたいわけではありません。最初に倫理的な観点から「ひき逃げは最低」と前置きした通り、ひき逃げは絶対にしてはいけないものです。しかし、われわれ人間の精神はいつでも倫理観に従えないということを自覚しておくことが大切だということです。事故ったことがないので、憶測でしかないですが、事故ったらパニックになるものです。どうしようどうしようと慌てているうちに、そのままアクセルから足が離せなかったり、勝手な解釈(ノンスタ井上のように)をしたりして、逃げてしまう精神状態になる人も多いのです。だから、「ひき逃げは最低だ!一部の極悪人しかそんなことはしない!俺は絶対にそうはならない!」と考えるのではなく、自分もそのような錯乱状態に陥る可能性があることを頭に置いておくべきです。すなわち、「ひき逃げは最低だ!でも、人間の半分はパニクって逃げてしまうらしい!だから俺はそうはならないようにもし事故ったらすぐに手当てなり救急車なり呼んですぐに対応すると硬く心に誓っておこう!もちろん、絶対に事故らないぞという気持ちと警戒心をもって運転するけどな!」という精神でいようぜって話です。最後に話をまとめると、倫理的な視点で言えば、ひき逃げはダメである。そして、統計的に見れば人間の精神は意外と脆く対応できずひき逃げしてしまう人も多くいるのが実情であり、最後にそれを踏まえた上で今後生きていこうってことになります。ここから先は、余計なお世話になるかもしれませんが、伊藤健太郎さんが過剰に叩かれているのは胸が少し痛いです。彼の心が綺麗だ、彼が真に反省しているとかいうつもりはありません。しかし、人間なんて大抵、クソ野郎ばっかりなんですよ。僕も含めて。聖人なんていません。誰だって、過ちを犯すものです。だからこそ、勧善懲悪の精神も大切だし、クソ野郎を許してあげる精神も大切です。世の中、バランスですよね。ここまで、読んでいただきありがとうございます。感情論は大切だけど、感情論だけでは見えてこないものもあります。それでは、また。

今回の参考リンクまとめ。 伊藤健太郎に「言い訳するな」の声 「逃げている認識なかった」TBSインタビューに賛否広がる (J-CASTニュース) - LINE NEWS

https://ja.wikipedia.org/wiki/ひき逃げ

https://www.zurich.co.jp/car/useful/guide/cc-whatis-runaway-accident/

https://wwwtb.mlit.go.jp/chubu/gian/hoan/H30anpura_siryou1.pdf

読むなマジで。

ここに書くのは、無様な男の空虚な負け惜しみでしかない。だから、読むな。というか、この文章をきっちり最後まで読むのはよっぽどの室賀いまりオタクじゃないと読めないと思う。じゃあ、なぜ書いているのか、そしてなぜそれをネットに投稿するのか。それは僕にもわからない。この記事は確実に黒歴史になる。それもわかった上で僕はここにこれを投稿している。落ちるところまで、落ちてみようと思う。今日は、人生で、本当に大切なことについて考えることにした。「人生で、本当に大切なこと」とは何とも、チープで、チージィで、ありきたりで、平凡で、つまらないフレーズだ。でも、それしか思いつかない。そんなものはないと言う人もいる。人間という個体の行先は決まっている。全ての生命が散り散りの原子に戻って土へと還り、風に舞う。「千の風になって」は科学的にも正しいことだろう。だったら、どう生きても構わないじゃないかという悲観主義者もいる。毎日、美味くも不味くもない飯を食べて、嫌いでもないけれど最高とも言いがたい友達とたわいもない話をして、無意味なゲームに時間とお金をとかして、子供の生まれないセックスに溺れたり、中身のない小説に目を走らせてみたりする。それでいいじゃないかと。それ以上もそれ以下もないと。そういう人もいる。反対に、生まれてきたことが宝物で毎日がプレシャスだぜベイベーまじでラブは世界を救うぜオウイェイみたいな楽観主義者もいる。ただのアホかもしれないが。僕には、未だに大切なものとは何なのかわかっていない。もういいか、前置きはいいだろう。先日、女の子に振られた。去年の年末に知り合った子だから、大体、五ヶ月間の付き合いだった。付き合いというと彼氏彼女みたいだが、恋人ではなかった。こちらから、好きだと伝えてはいたけれど、向こうから好きだと言われたことはなかった。手を繋いでみたり、一緒にデートに行ってみたりもしたけれど、彼女の恋心が芽吹くことはついぞなかった。僕は一人で勝手に盛り上がって彼女を好きだ好きだと言っていたけれど、彼女にとっては負担だったらしい。誘われるから遊んでみたけれど、恋心にはほど遠く、ただただ僕からの愛情表現は鬱陶しくて重たいものだったらしい。僕は、昔から本当に面倒臭い男だ。それは僕が一番わかっている。簡単なことを小難しく伝えたがるし、相手の図星をつくことに快感を得ている。相手に好かれたければ、相手の図星をついてはいけないことは当たり前だ。人は相手に「理解された」気になられると、不快に感じる。しかし、自分の言ったことを「受け入れる」人に好感を抱く。相手に愛されたければ、相手を理解してはならないし、理解した気になってもいけない。そして、相手に自分を「理解した」つもりになってもらわなければならない。だから、わかりにくいとか面倒臭い人は一番モテない。愛されるのはわかりやすいバカだ。言い換えれば表裏のなさそうな人だ。しかし、それすら高慢な人々の幻想でしかないと僕は思う。裏表のあるなしなど証明のしようがない。どれだけ問答を重ねても、相手が心根を吐露しているかなどわからない。「この人は裏がなさそう」などというのは「この人は私の理解の及ばない考えはなさそう」と小馬鹿にしているだけだ。いつだって確実にわかるのは自分の気持ちだけだ。証明のしようのないことの真偽を問うことほど馬鹿げたことはない。神様がいるかいないかを論じるのと同じだ。12月に彼女に初めて会って、一目惚れをして、遊びに誘うようになって、一緒に彼女の好きなスキーやスケートに行ったり、電話をしたり、ご飯を食べたり、書道をやったり、映画を見たり、少しずつ一緒に過ごす時間を積み重ねていった。僕の想いは募るばかりだったけれど、僕のことが好きではない彼女にとっては、加速する僕の愛情はただの重圧、そしてストレスでしかなかったらしい。そして、3月に僕は一つの決断をすることにした。ここで、話しておかなければならないことは、彼女はアラサー社会人で、僕は25歳の学生であるということだ。25歳の学生なんて今時対して珍しくもないが、アラサー女性にとって経済的に安定していることは男性の必須条件である。僕にもそれはわかっていたし、彼女も初めてあった時からそのことは承知していたので、それが絶対的なファクターとは言わないが、僕にとっては大事なことだった。そして、僕は彼女との付き合いを本当に長い目で見たかった。だから、僕は日々の生活を改めて、まだ社会にも出ていないひよっこの僕だけれど、勉強期間の長い分、社会に出たら大きく翼を広げて羽ばたけるように精進しようと思った。そこで、自分を顧みるため、彼女と遊んだり、電話したりすることは控えて、しばらく自分のやるべきことに集中しようとおもった。それが今年の3月中旬のことである。そのことを彼女に伝え、一ヶ月間は彼女へと連絡することはせず、僕はがむしゃらに勉強に打ちこんだ。そして、毎日、彼女に向けて日記をつけた。それを以下に載せる。

○○○さん日記

2021/03/21 ○○○さん、こんにちは。先日は、「僕は頑張ることにします」とお伝えしたら、○○○さんは「何を?」と尋ねましたね。僕が「内緒です。人間は全部を晒さないほうが良いんですよ」と言ったら、「そういうのは女の子だけで良いんです」って言っていましたね。男女の違いなのかは分かりかねますが、僕は思ったことを全部伝えてしまうタイプです。勿論それは、思いついたままに口に出るという意味ではありません。僕が全てを伝えてしまうというのは僕の真意を全て伝えようとするという意味です。だから、伝え方とかタイミング、言い回し、回数、など色々と試行錯誤して伝えるつもりでいます。そして、それがなるべく、相手を傷つけたり、迷惑になったり、悩ませたりしないように僕なりに気をつけています。だから、例えば、僕は○○○さんのことが好きなのですが、ただ口で好きだと伝えてもどれだけ伝わるかわかりません。だから、○○○さんが信じられるような、そして、受け止めてもらえるような愛情表現を形作りたいと思っていますが、まだ試行錯誤中です。まだ、というか、それに答えはなくて、いつまでもそうしていくのが人間関係かもしれませんが。さて、少し脱線してしまいましたが話を元に戻します。今日の本題は「全てを話さない」ことについてです。僕は自分の為には生きられない人間です。小さい頃から、僕には欲があまりありませんでした。物欲、睡眠欲、食欲、性欲、そういったことに強い欲求が無かったように思います。僕が強い喜びを感じたのは、他人がそう言った強い喜びを感じている時でした。母が美味しい美味しいと言ってご飯を食べているのや、父親が楽しそうにバイク作業をしている時、兄たちがはしゃいでゲームをしている時、妹と一緒に写真を撮って騒いでいる時、そういった時に僕は強い幸せを感じるのです。だから、僕がバカ話をして○○○さんが笑ってくれた時や、○○○さんが好きなものを食べて嬉しそうにしている時、楽しそうに運動している時、そういう時に幸福感に僕は包まれることが出来るのです。でも、今の僕のチカラだけでは、○○○さんにしてあげられる事は殆どありません。だから、コツコツとチカラをつけたいと思ったのです。一緒にいるだけで何かを起こしてくれるような、ワクワクする人物になりたいと思ったのです。僕は「楽しい」を作りたいです。そういうクリエイターになりたいです。だから、しばらくの間、修行をしようと思ったのです。でも、僕は、厳しくされないと、自分を追い込まないと、自分の中で抱えていないと、がんばれないのです。でも、自分独りでもがんばれないのです。なんだか矛盾しているようですが、そういうものなのです。だって、僕の幸せは、僕の中にはないからです。だから、毎日、○○○さんに誓うようにここに毎日の記録を残しておきます。これはいつか○○○さんにお見せするかもしれませんし、お見せしないかもしれません。それは後になってから考えることにします。でも、毎日、○○○さんに向かって約束するようにここに自分を省みる機会を設けて、成長していこうと思います。初日だからというのもあって少し長くなってしまいましたがそんな感じです。ここからが今日の日記です。今日は県選手権がありました。私のチームは○○○に勝利しましたが、2回戦の〇〇○に惜しくも敗れました。本当に惜しい試合だったし、何より良い試合でした。メンバーは9人(うちキーパー2)と少ないメンバーでしたが、みんなよく走って上手く戦いました。正直言って、僕が1番足を引っ張ったように感じました。段々とあの頃の感じを取り戻してきてはいるのですが、まだまだ皆んなと噛み合いません。しかし、それでも少しずつ歯車が噛み合ってきたような気がします。自分の力不足を感じて、情けなくなって試合終了後は1人泣きそうになりました。プレイヤーが7人と少なかったので今回は初めて○○さんとプレイすることができました。やっぱり○○さんは凄いです。最初はあまり連携が取れなかったのですが、僕が何度も諦めずに○○さんの背中を追いかけて走ると、次第に僕を見つけてパスを通してくれるようになりました。チームメイトと噛み合わないといくら走り回っても水の泡となります。やがては疲れもあってどうせパスが貰えないと思い込み走れなくなる人も多いです。でも、僕は1番下手くそだから、走ることしかできません。そうして何度も走っていたとき、誰よりも早く、○○さんが僕を見つけてくれました。僕の頑張りが報われたみたいで嬉しかったです。それでも、もっと僕が上手ければもっと多くのことが出来たと後悔しないことはありません。久しぶりに、アイスホッケーに燃えることができました。明日は3位決定戦です。それから、話は変りますが、現在、小説を執筆中です。完成したら1番に○○○さんにお知らせしますね。

2021/03/22 県選手権の3位決定戦が終わりました。対戦相手は今シーズン1勝1敗の〇〇○とでした。結果は完勝でした。全体としては、とても良い試合結果でした。僕から長男、そして次男へと繋ぐダブルアシストでのゴールもありました。三兄弟の連携でした。何気に、今回の試合が今までで初めて三兄弟でセットを組みました。いまの僕の実力なら、悪くない結果だったと思います。ベンチで○○さんが「5年前は楽しかったよな。Wに勝って優勝した年」と言ってTさんと思い出話に花を咲かしていました。Uさんさんの話も出ました。今日は色々と考えさせられる日でした。決勝戦のオフィシャル(スタッフ的なやつ)をしたため、決勝戦を観戦してから帰りました。決勝はWCとWGの試合だったのですが、当たり前ながら皆んな上手いなーと思いました。WCにもWGにも見知った顔の人が何人かいます。その中には小さい頃一緒にプレイした人や、当時も敵同士として戦った相手もいました。なんだか、そんな彼らを見ていたら自分が不甲斐なくなってきました。どれだけ前の話になるんだよって話ですが、小学生の頃、僕はキャプテンをしていました。チームの中では上手い方で、得点も1番稼ぎました。正直な話、天狗になっていました。自分には才能があると。だって、チームで1番得点を取っていたから。自分が常に上手い方であることが当たり前でした。しかし、今となっては、彼らの方がずっと上手いのです。考えてみればそれもまた当たり前ではあります。僕は高校1年生の時にアイスホッケー部を退部して、それからはほとんどホッケーの練習はしませんでした。もちろん試合にも出ませんでした。しかし彼らは高校でもホッケーを3年間続けて、さらに大学でも4年間続けたのです。だから6年以上の経験の差があるのだから、上手い下手があって当然ではあります。しかし、あの頃、見下ろしていた相手を見上げるのはかなり精神的にくるものがあります。そして、考え直したことがあるのです。私は、小さい頃、自分がアイスホッケーの才能があると思っていました。しかし、僕が本当に持っていたものはprivilegeでした。この単語は訳しにくいのですが、まさに僕にピッタリの言葉だと思います。僕は、ハッキリ言ってお金持ちの家に生まれました。何でも欲しいものは買ってもらえたし、やりたいことを何でもやらせてもらえました。それだけではありません。父も母も僕のやりたいことをサポートしてくれました。押しつけることはしないし、何かを強要することはありませんでした。僕に防具を買ってくれて、スケートの送り迎えをしてくれて、毎回試合を観に来てくれました。それに、庭にはインラインリンクを作ってもらい、いつでもシュート練習やインラインホッケーのし放題でした。高校生の時にはアイスホッケーのミニリンクまで作ってもらいました。ミニリンクは私用ではありませんが、いつでも空いてる時間は使わせてもらえました。中学生も高校も、Uさんさんという素晴らしい監督に見てもらいました。これ以上ないほど素晴らしい環境でした。こういったモノや機会のことをprivilegeと呼びます。しかし、僕はそれをあまり活用できませんでした。それだけのものを与えてもらいながら、僕はただの平々凡々なアイスホッケーの実力しか身に付きませんでした。そりゃそうです。当時の僕は、そこまで一生懸命ではありませんでした。当時の僕には、主体性がまるでありませんでした。ただ人の言われるがままに練習をしていました。「こうなりたい!こうしてやる!」という強い意志がありませんでした。だから、それだけ練習する機会があっても、自主トレは全然やらやかったし、UさんやSさんが身近にいたのに彼らから何かを学び取ろうとしていませんでした。まるで、学校で嫌々授業を受けるかのごとく練習をしていました。なんてもったいないことをしていたんだろうと今になって思います。僕は本当に根気のない価値のわからない甘やかされたお坊ちゃんなんだなと振り返ってみて思いました。今になって考えます。あの時、高校でホッケーを辞めていなかったらどうなっていたんだろうと。これは何もホッケーに限った話ではありません。色々な機会を、僕は活かしきれていない。その事に気付かされる1日でした。だから、今後は、大事な機会を失わないように、毎日を大切にしていこうと思います。○○○さんと過ごせる日は、僕の人生にとってとても貴重な日です。だから、またいつか会える日は、きっと、存分に楽しもうと思います。よろしくお願いします笑。とりあえず、疲れたので今日はこの辺で眠ります。明日からもがんばります。あ、今日も車の中で少し小説を書き進めました。明日も書きます!それじゃあ、おやすみなさい。

2021/03/23 今日は小説の大まかな構成を考えました。いつもは気のみきのままに書いていたんですが、きちんと書き切ることを目標としてみると終わりの見えた形で書いていかないといけないなと思ったのでざっくりとした骨組みを組んでみました。ここから、段々と肉付けしていこうと思います。なかなか、ストーリーラインに肉付けするのは難しくあります。僕は文章を書くことは好きなのですが、ただ自分の中で溢れて来た考え事をつらつらとそのまま文章に起こす事は好きなのですが、何か目的物があってそれを書くために自分の頭で想像することは苦手だなと感じました。つまり、書きたいことが思いつけば書けるけど、書くべきことが存在するから書くのは難しいということです。当たり前すぎますね、何言ってんですかね笑。

2021/03/24 こんにちは、○○○さん。今日は当たり前過ぎるけど、今更気づいて感動したことについて話します。小説を書き始めて、しばらく経つと必ず行き詰まります。何を書いていいのか、この先どうしたらいいんだろうとわからなくなってしまいます。そして、昨日の僕は「ああ、ここまで書いたけどもう無理だ。ネタ切れで何も思いつかない。諦めよう。」みたいな思考に陥っていました。でも、家族と色々話したり、別の好きなことに打ち込んだり、本を読んだりしていたら、フッと次のページが開けてきたのです。そして、頭の中でストーリーの歯車がグルグルと回り始めました。まるで、解けなかった数学の問題がふとしたことがきっかけでグングンと解け始めるみたいな感覚です。そして、「ああ、行き詰まることがあっても、次の日になればできる」ってことって本当にあるんだ!って実感をして感動をしました。まさに押してダメなら引いてみろの原理です(?)。本当にそれだけだし、「いやいや当たり前だろ」って話なんですけれども、僕は一人で凄く感動をしていました笑。それだけです笑。

2021/03/25 「お金持ちの家に生まれて良かったー!最高!」って思う瞬間があります。それは、母親と本屋に行った時です。小さい頃から、今でも、本屋では何冊買ってもらってもお小言を言われたことがありません。むしろ、「本読んでえらいね」って褒められます。にやにや。というわけで、本日も母親と平安堂に行きまして片っ端から欲しい本を山積みにして買ってもらいました。お会計が5ケタになりました笑。今日からまた本の虫になります。🐛ペラペラ

2021/03/26 ○○○さん、こんにちは。最近、ペペロンチーノにハマっています。英語のリスニングの勉強を兼ねてできるだけ海外の映画とかドラマを観るようにしているのですが、昨日観たものの主人公がシェフで、パスタを美味しそうに作っているのをみて僕もペペロンチーノが食べたい!オリーブオイルたっぷりフライパンに入れて、ニンニクと唐辛子を炒めたい!って思ってペペロンチーノをお昼に食べています。今日で3日連続です笑笑。そして、日に日に美味しくなっていって驚きました。別段、レシピを調べたりそこまで試行錯誤をしたわけでもないのですが、昨日は少し塩気が足りなかったからもう少し入れようとか、乳化をきちんとしようとか、ニンニクを炒める時間感覚とか、ちょっとしたことで味が美味しくなったので驚きました。単に今日が一番お腹が空いていただけかもしれませんが笑笑。いや、確かに美味しかったんですよ!特別なことは何もしていないし、他人に振る舞うほどのものでは絶対にないんですが自分の中では美味しいと思えるものが作れてよかったです。今度は、自分の中で、楽しいと思えるものを作れるように今日も僕はがんばります。○○○さんは最近、楽しんでいますか?楽しんでいますよね。うん、そりゃそうだ。いいなあ、また遊びにいきましょう!絶対!

2021/03/27 ○○○さんこんにちは。今日は、哲学の話をします。最近、哲学の授業を取っているんですよ。「え、この前もそんなこと言ってなかったけ?」って思いましたか?笑。この前のは心理学で、今回のは哲学なので別です笑。フロイトとかは哲学的な思想もだいぶ入っている気がしますが。まあ、確かに近からず遠からずですよね。心理学は科学としてきっちり脳科学とか行動心理学みたいなデータだけを集めて頑張っている部分から、占い師的な話まであるので、ある種、哲学に近い部分もあるんですよね。いや、なんか哲学の説明をしてもしょうがない気がするんですけれども、でも、ともかくちょっと説明してみますね笑。○○○さんは哲学ってきくとどういう印象を受けますか?なんか、小難しいことを言って人生悩んじゃっている意識高い系みたいな感じですかね。まあ、色々、あるんですが、哲学の根幹は「合理的に世の中のことを考えよう」ってことが根幹にあります。いわば、数学が一番近いわけです。哲学の歴史とかも面白いんですが、今日はデカルトについてお話ししたいので、他のことについてはまたの機会に語らせてください。デカルトといえば、ですね、「われ思う、故に我あり」な人ですよね。この人はすごく頭の良い人で、いろんな学問を片っ端から学んだわけです。そして、学問とは現在わかっているものから、推論を導くことだと定義したわけです。例えば、手を叩くと音がしますよね。これは何故かと言えば、「空気が振動したものが音」だからですよね。この事実から、真空の場所で手を叩いても音がしないって事実が導くことができます。そして、実際、宇宙空間では音が存在しませんよね。このように、事実から次の事実を推論することを科学として、いろんな科学的な知見を人類は積み重ねてきたわけですよね、ところが、それは言い換え得ると、根幹にある定理が間違っていたら全部間違ってしまうこともあるわけですよね。だから、デカルトは、まずは絶対に正しい事実を見つけて、そこから色々推論していこうと思ったわけです。ところが、例えば「重力があるからりんごが地球に落ちる」ってことも、「いやいや、目に見えてる景色ではりんごは落ちてるけど、本当は目に見えてるものが嘘っぱちの幻想で、本当はりんごは空に飛んでってるかもしれないじゃん」とか、「人類とか地球とかそういうのは本当は存在してなくて、全部夢かもしれないじゃん」みたいな超常的なことを言い始めればキリがないわけですよね。そこで、デカルトはそうかもしれないけど、とりあえず「そうかもな、と思っている自分の意識というものは存在してるよね、じゃなかったらこういう問答を考えることすらできないから。だから、自分はとりあえずいるわ。」そこで、我思う、故に我ありなわけです。デカルトの話が長くなってしまいましたが、僕がここから話したいことはですね、○○○さんが「いまりさんは本当は私のこと好きじゃないけどそう思ってるだけ、いっかい冷静になってほしい」とおっしゃっていましたよね、それにも同じことが言えるなと思ったわけです。こうかもしれないじゃん、ああかもしれないじゃんということはできますが、どうやってこの好きという感情を説明するかは、「僕は○○○さんが好きである、故に○○○さんが好きである」そういうことなんですよ。はあ?どういうことだってばよ。わかりません。おやすみなさい。

2021/03/28 ○○○さん、こんにちわ。○○○さんに会いたいです。今日もそんなことを考えていました。○○○さんのことを考えない日はないです。本当ですよ!笑。いや、もし困るって言われたらこっちも困ってしまうんですが笑。○○○さんは今頃、何をしているんですかね。ドロドロした本を読んでいるのか、明日の晩御飯を作っているのか、パズルをしているのか、それともクイズノックを観ているのか笑。それか、お友達が遊びに来たりしてるんですかね。まー、知りようがありませんけれど笑。僕は、いつも通りやっています。急に天才にはなれないけど、毎日少しずつ自分を成長させられるように前向きに、怠惰な自分と付き合っていこうと思います。なんか、○○○さんのためだったら、頑張れる気がするんですよね。「○○○さんのため」ってなんだよって話ですけれど笑。○○○さんが以前に、捻くれ者の文章とか、クスッと笑える文章が好きって言っていたのを思い出します。朝井リョウさんのエッセイてきなものも凄くオススメしていましたよね。機会があったら、読んでみたいな。なんか、捻くれたこと最近考えたかなぁ。うーーーん、あ、友達と電話してる時に、ふざけて冗談ばっかり言ってたら、「お前冗談しか言わねえな」って突っ込まれたので、当てつけの如く真面目な話ばっかりしてみました。ギャップ萌えですね。いや、違うか。っていうか捻くれものって言うよりも、天邪鬼ですねこれは笑。今日の文章に笑をつけすぎてる問題が有りますね。とりあえず、おやすみなさい。

2021/03/29 唐突にランニングをしたら、汗だくになりました。3km走りました。高校生の頃、部活の最後の走り込みで2キロコースと4キロコースがありました。4キロコースはすごくしんどくて、2キロコースはすごい楽だった印象があります。3キロは意外と短く感じました。あの頃よりも実は体力あるのかなとか一瞬でも思いましたけれど、よく考えたらあの頃は部活終わりに走っていたわけで今とは話が違いまくりでした笑。僕は、正直、走るのはあんまり好きじゃないです。でも、歩くのは好きです。見知らぬ土地をぶらぶらするのも好きですし、近所の脇道を探してぶらぶらするのも好きです。○○○さんはお散歩はお好きですか?今度、一緒にお散歩しませんか?「いいですよー」って○○○さんなら言ってくれる気がします。そして、僕が「横でバシャバシャ○○○さんの写真撮りますね!」って言ったら、「じゃあ、ダメです。もう、行きません。絶対行きません。」って言いそうです笑笑。行きましょう、絶対。笑。

2021/03/30 カメラのレンズを買いたいなーと思っています。今は、標準レンズしかないのですが、これはあまり小さなものの撮影とか遠くのものの撮影には向いていません。ポートレートとかには良いのですが、なかなか喜んで被写体になってくれる人が少ないんですよね。○○○さんも可愛すぎるから、僕は○○○さんの写真集が撮りたいです。いや、本当に○○○さん可愛い。もう、おかしいぐらい可愛いです。好きです。抱きしめてそのまま背骨をボキボキ言わせたいぐらい好きです。あー、○○○さんに会いたいなー。今日はなんだか、好きが溢れてとまりません。○○○さん好きだーーーーーー!!!

2021/03/31 シンデレラガール、シンデレラボーイって聞いたことありますか?シンデレラの物語を死ぬほどザックリ説明したら「毎日辛い日々に耐えて働いていたら、ある日魔法で幸せになった。」ってストーリーですよね。自分をこういう風に捉えている人が増えているって長男が言っていました。どうなんでしょう。僕は確かに、大学出たらどうなるかしらって考えながら生きていますが、魔法でとてつもなく幸せになれる〜みたいにも思っていないですけども。終身雇用制度がドンドンと崩れてきて、一つの会社にずっと勤めようって考える人が減って来ましたよね。特に20代とか30代前半の人だと、「俺はいつまでもこんな所にいるタマじゃない!いつかもっと良いところに転職してやる!」みたいに考えている人も増えていますよね。僕の友達も最近就職したばかりなんですが、彼は坂城にある機械工業系の会社に勤め始めることになるのですが、既に市役所への転職を考えているそうです。年金とか株のことを尋ねて来たので、持ち株はお金を増やす目的というよりも会社への帰属心とか貢献って意味合いの方が強いかなって言ったら「じゃあいいや」って言っていました笑。なんか少し寂しいなって僕はなりました。会社とそれを比較するなよって話になるかもしれませんが、僕が大学の時にサークルを作った話をしましたよね。そこで、資格の勉強のセミナーとかも僕がしていたので、そういう役に立つことだけ参加してサークル活動自体にはノリ悪いというかひたすら受け身みたいな感じで、損得勘定でしか動いていないなーってのを感じた時すごく寂しかったんですよね。もちろん、会社なんてこの世にごまんとあって、自由に仕事が選べる時代ではあるんですけれど、それでも皆んなで経済的な仲間として協力してやっていこうって時に1人だけ(かどうかはわからないけど)既に抜ける算段を立ててるってどうなのって思いました。まあ、彼は長年付き合ってる彼女がいても平気で浮気したりそれを嘘の上塗りで誤魔化したりしてる人だからとても利己的に生きてるだけかもですけれども。いや、なんかただ友達の悪口になってきてますね。友達の話はこの辺で、やめときます。でも、これって経営者側の話であって勤める側にも色々と言いたいことって絶対たくさんありますよね。僕が父親の考えに多分に影響を受けているから、そう考えているだけで、いざ雇用されて働く立場になったら考え変わってくるんですかね。うーむ、そんなことを考えた日です。

2021/04/01 ○○○さんこんにちは。4月ですね。春です。春ですね。○○○さんにとって春ってなんですかとこの前尋ねたら、「種を植える季節」と仰っていましたが、いかがお過ごしでしょうか。新生活の始まりです。次男は職場でどんな感じでしょうか。次男が行くまでにまた顔でも出しますとお伝えしていましたが、結局行かずじまいですいません。いきたいなとも思っていたんですが、皆さんにも気を遣わせることになるし、何より多分、次男にとっては新しい人と打ち解けるのはストレスのかかることで、そうやって四苦八苦しているところを僕に見られたくないと思ったので顔は出さないことにしました。次男に詳しく仕事については聞いていませんが、僕の手紙が壁に貼ってあったって話だけは聞きました笑。多分剥がしづらい雰囲気になってますよねそれ笑。邪魔だったら遠慮せず捨ててください笑。一緒にゲームしてても少しイライラしてるというか余裕ない感じがしたのでおそらく、ストレスは溜まっているんでしょうね。人は変化を嫌うから当然ではありますね。何か素晴らしいものを手に入れることがあっても、それが失われることのほうがよっぽど辛いから、それがない今のままでいる方が楽だと拒絶することもありますよね。あれ、なんの話だ笑。ともかくですね、そんなわけで新生活というのは希望と不安に満ちているわけです。そして、その漠然として不安とか理想と現実の乖離とか、そういうものが溜まってきてどうしようもなくなる時期が五月病なわけですよね。そんな時期に僕はおぎゃあと誕生しました。そして、○○○さんはそんな憂鬱を吹き飛ばす天使みたいに6月に生まれてきたわけです。何が言いたいかというと○○○さんが好きだってことです。はい、唐突です。3月中、何回も○○○さんに電話したいなあって思いました。でも、こんな僕じゃあダメだって思ってやめました。○○○さんと話すと幸せです。幸せすぎるんです。僕はそんなものに値する人間なのかなって思ってしまいます。一人で勝手に盛り上がっててごめんなさい笑。緋色の弾丸は4/16に公開ですね。それまでに、小説とイラストを完成させて、○○○さんに電話します。とりあえず今日も僕は頑張ります。

2021/04/02 ○○○さん、おはようございます。今学期は夕方からの授業ばかりだったので、朝6時から授業を受けることになったのでとても健全な生活を送ることができそうです。やっぱり、夜に寝て朝に起きて昼間に働くって最高ですね。僕が求めていたのはこういう人間らしい生活です!最高!笑。いやはや、半年以上昼夜逆転した生活を送ってきましたけれど結構病んでましたもん。ずっと夜勤勤の人とか大丈夫なのかな…。ようやく僕のバイオリズムが正常に動作し始めたような気がします。これで食欲もモリモリだし元気もモリモリだしブロッコリーもぐもぐです!あ、そうそう、ブロッコリーで思い出したんですけど、○○○さんに3/19日に「美味しいパン屋さんを探しておきますね」と伝えたのを覚えていますか?僕はちゃんと覚えています。僕は約束は守るオトコでありたいです笑。だから、昨日パン屋さんにいきました。M BAKAERYに行ってきました。今年の3/20にオープンしたばかりだったので、ミーハーのN県民(僕もその一人)が列を成していました。なんかオシャレな感じでした笑。なぜか店員さんがみんな女性でした笑。塩トリュフパンが有名らしかったので、それを2つと、牛乳パン、帽子パンを買いました。牛乳パンがすごく美味しかったです!僕は牛乳パンを一押しします。また今度○○○さんもお連れしますね!(別に自分で行けるからいいですとか言われそう笑)。今日は別のパン屋に行ってこようと思います。○○○さんは桜を見に行きましたか?僕は善光寺に桜を見に行きました。でも、全然樹木に詳しくないからどれが桜でどれが桜でないのかよくわかりませんでした。とりあえずここら一帯でいま咲いてるピンクとか白っぽいのは全部桜ってことでいいですよね。母親が梅代って名前だから、「梅と桜の見分け方ってどうするの?」と尋ねてみたら「梅の方が早く咲く」と言われました。見分け方じゃなくないですか笑。あ、そうそれから先日図書館に行って本を借りてきました。図書館っていくら立ち読みしても怒られないからいいですよね。わー、なんか○○○さんにお話ししたいことがたくさんあって支離滅裂な文章になっています笑。えーと、ともかくですね図書館で「フォトグラファーになるには」って本を借りてきたわけです。無論、写真家になるつもりは毛頭ありませんが、趣味で写真をやっている分、撮影技術とかの上達は目指したいなと思ったわけです。それに、その道のプロの人の姿勢を垣間見るだけでもこちらとしてもやる気が出てくるというか、真似っこしてみたくなるわけです。そこで僕の中で関心したのは彼らの撮る量でした。とんでもないんですよ、1日に400枚とか撮るわけです。なんかプロのカメラマンってその場にあったセッティングとか構図をパッと考えてスナイパーみたいに一枚をスマートに撮影して終わるイメージだったんですけれど、もちろん無駄にバシャバシャはしないにせよプロでもそれぐらいの数の写真を撮ってその中からようやく1枚とか2枚のこれだっていう写真が作品になったり商品になったりするんだなと関心しました。僕も下手くそでもたくさん撮影して経験を積もうと思いました。それで、ようやく先程の話につながってくるわけですが、そんなわけで僕はカメラを持って桜の写真を取りにいったわけです。でもやっぱり桜って撮るの難しいですね。なかなか良いものが撮れないなーってなって道端にいた猫の写真を撮って帰りました笑。でも、たくさん撮りました。とにかく量は撮りました笑。よし、とりあえず今朝はこんなところで。今日も頑張ります!

2021/04/03 ○○○さん、こんにちは。今日は四月三日、次男の28歳の誕生日です。そういえば、○○○さんって次男と同い年なんですよね。なんだかそう考えると少し変な感じするな笑笑。今日も新しいパン屋さんへ行きました。今日はHBってところへ行きました。ここで妹にピザパンを、それからショコラパンとシュクルという塩とバターの香るパンを買いました。ショコラパンはクロワッサンみたいな生地の中にチョコが入っているタイプでした。○○○さんが好きそうだなと思いました笑。次男とAさんと次女は三人でJ公園に桜を見に行ったらしいです。そしたら、J動物園で次女のお気に入りのサンダルが壊れてしまったらしく歩けなくなってしまったらしいです。そこから次女が不機嫌になってしまって困ったと次男が伝えてくれました。もう高校生なんだから少しは気を使ってくれたらいいのにと次男はいっていました笑。サンダルのせいなのかはわかりませんが、みんなで夕ご飯を食べることになっていたけれど次女は気分が優れないといって家に残ることに。「SM」という中華のお店にM家で行きました。次男はフカヒレが食べたかったようですが、フカヒレは3日前から予約しないと食べられないことが行っMてわかりました。よほどフカヒレを楽しみにしていたのか、少し不機嫌に次男がなりました笑。あなた、さっき次女に何か言っていなかったけって僕は思い返してニヤニヤしてました笑。二人とも可愛いですね笑。りささんが母親に香水をプレゼントしていました。AさんとRさんが母親に先月は誕生日おめでとうございますと気を使って言っていて、なんか部活で無理矢理先輩におべっか使わされている時のことを思い出して僕は少し苦笑いしました。Rさんが4/23に誕生日で長女が4/25に誕生日と、M家は4月と5月に誕生日が集中しています。Rさんに何もあげたことないから何か買ってこようかしらと思っていたら、こM次女に言われたことを思い出しました。母親が「RさんはNでまだ友達が多くないから休みの日とかに遊びに出かけたりしなくて長男が相手してあげないといけなくて困ってるらしい」と言っていたので「じゃあ、僕が遊びに誘おうかな」と言ったら、次女がすごい剣幕で「浮気だ!不倫だ!知ってるぞ!ナオはRさんのこと凄い好きなんだ!!」と言って怒っていました笑笑。なんでだよって話ですけど、次女は僕が女の子と遊ぶというとすぐに不純なことをしていると思っているようです笑。おかしいなあ。Rさんに限らず僕はいろんな人と仲良くしたいだけなのですが、兄弟の夫婦仲に変な影響を与えたくもないので良い距離感を探していこうと思います。そんな調子の土曜日でした笑。

2021/04/04 ○○○さん、こんちゃです。んちゃ。今日はウサギの絵を描いたり、小説を進めたりしました。小説って書きたいと思った時はすらすら書けるけれど、今日は何文字書くぞって課題みたいに設定するとなかなか行き詰まってしまうものですね。本を読みたい欲と文字を書きたい欲は正弦波と余弦波みたいにズレてモチベーションの波が揺れている気がします。夜に友達とゲームしながら、雑談していたら、年金の話になって置いてけぼりをくらいました。僕もお金回りのことを少しは勉強しないといけないななどとゲームで現実逃避するはずが、視覚はバーチャルの世界で、思考は現実の世界に囚われるという、乖離現象を目の当たりにする夜でした笑。僕もいつまでも学生をやっている分、人よりも博識で在らないといけないから、たくさん本読んでたくさん勉強します。

2021/04/05 ○○○さん、こんばんは。今日は課題をもりもりやりました。そして、今日も写真を撮ろうと思ってお散歩にもでかけました。でも、風が強くて寒くてすぐ近所までしか出かけませんでした笑。近くの小さな公園に言ったら、桜が咲いていました。これは満開に近いんじゃないかと勝手な診断をして、一人で良い桜だと偉そうに吟味して写真をバシャバシャ撮っていたら、子連れのお母さんがやってきたので、会釈だけして公園をさりました。それから、今日もイラストの勉強をしました。毎日1枚は描きたいなあと思っていますが、描ける日も描けない日もありますよね笑。それから今から寝落ちするまで小説を書こうと思っています。でも、パソコンで執筆するからブラックライトで全然寝れないんですよね笑。本当は寝る前は読書とかに当てて、朝に執筆とかした方がいいんだろうなと思います。思うならそうしろよって話ですね、そうしようかしら。今日はパン屋さんには行けませんでした。字の練習も本当に毎日ちょびっとだけど続けています。今までは正確に綺麗に書くことに意識を向けてきましたが、だんだん、スピードをあげて綺麗に書けるようになろうと思っているところです。今更ですけれど、やっぱりひらがなは難しいですよね。漢字の方がある程度、バランス取りやすくてそれなりに見えるのですがひらがなは本当に難しいです。でも、何事もコツコツですよね。コツコツやっていきます。コツコツ。

2021/04/06 ○○○さん、こんにちは。今日は夢の話をしようと思います。最近、アメリカに行く夢をよく見ます。アメリカで大きなライブ会場にいきました。そこで、突然、輩に絡まれて、「アジア人がコロナを広めたんだ!やっちまえ!」と襲われる夢でした。アメリカに行く夢を見るのは前向きにアメリカに行きたいという気持ちの現れな気がするのですが、障害物も同時に夢に見ているので希望と不安が入り混じった感情なのかもしれません。それから、最近モンスターハンター、略してモンハンというゲームを友達や家族と遊んでいます。(え、もう夢の話終わり?って突っ込まれてますね絶対笑。終わりです笑笑)モンハンはその名の通り、モンスターを狩猟するゲームです。例えば、デカイイノシシ🐗のモンスターを討伐して、その牙から槍を作って今度は大きなカエル🐸のモンスターを討伐するみたいなゲームです。ゲーム内容はさておき、このゲームは4人まで協力することができます。ウチの兄2人と、そのお嫁さん2人も遊んでいるので兄妹で遊んだりしてます。ところがですね、兄弟ラインで「モンハンやろう」って誘うとですね、5人になってしまうわけです。モンハンは4人までしか通信できません。スネ夫さながら、「悪いな〇〇、このゲームは4人用なんだ」ってなってしまうわけです。じゃあ、2-3に分かれれば良いじゃんって話になって来ますけどそうするとどうしても、どっちかの夫婦がいつも通り夫婦で遊ぶ形になってしまいますよね、そして、AさんかRさんが気を遣って抜けるみたいな感じになってしまうので、僕が気を使って「4人で遊んで〜」って言って抜けたりしてます。まあ、別にその事は実は本題ではなかったりするんですが笑笑。めちゃくちゃ周りくどい文章になってますね、ごめんなさい。本題はと言うとですね、家族でモンハンをしているとですね、次男はともかく効率的にクリアを目指すわけですね。だから、寄り道的なことをすると怒られてしまうわけです。「モンハンは遊びじゃねえ!」みたいな感じでガチなんです。一方、長男はある程度ふざけたりして楽しむ事優先みたいなプレイスタイルなんですね。そうするとそこで発生した齟齬をですね、誰かが穴埋めしないと気まずい感じになってしまうんですよね。それから、お嫁さん2人はですね、やっぱりそれほどモンハンなんてやり込んだことがないから旦那たちに比べてそこまで上手くないわけです。長男は冗談を交えながら、Rさんから質問が来たら教えてあげるみたいなスタイルで、次男は自分でどうにかしろスタイルで相手に教えてあげたりするってことがあんまりないんですよ。それでですね、大丈夫なのかなAさんはこれモンハンしてて楽しいんだろうかとかですね、色々考えてしまうんですよね。まあ、所詮、ゲームなんで、遊びですし、本人たちが良ければそれで良いかなとは思うんです。そして、ふと、○○さんに言われたことを思い出したわけです。今年のシーズン終わりに、○○さんに「ポンコツすぎてすいませんでした」ってLINEを送った際にですね、○○さんから「スポーツの大前提は楽しむ事だから全然問題なし」って言われたんですよね。ああ、そうだよな、って思いました。元プロの選手でも、やっぱりスポーツって楽しむためのものなんだよなってなったわけです。もちろん、ちゃらんぽらんにふざけてやっていいって意味では無く、真剣に取り組むけど楽しむことが第一って意味だとは思うんですが、これってゲームでも同じだなと思ったわけです。楽しく無くちゃ、意味がないよなって。だから、次男が楽しめるように次男とやる時は、サクサク効率的にプレイする方法を模索して、RさんやAさんとやる時は彼女らが自分のキャラクターを思い通りにコントロールしてモンハンの操作の楽しさを味わえるように優しく教えてあげたいなと思ったわけです。あと、長男とやる時は一緒にふざけようかなと笑。目の前の何か、自分の目的を遮るものに、一生懸命になりすぎたり、固執しすぎたりすると、本当に大事な事がわからなくなってしまう時があります。広い心と視野を持って、穏やかに明るく楽しく日々を生きて行けたらいいですね。今日は何の話なんだこれ笑。あ、あと、今日もイラスト描きました。

2021/04/07 ○○○さんこんにちは。今日は散歩をしました。1時間ぐらい。高校生の頃に行っていた学習室になんとなく足を運んでみたらコロナのため閉まってしました。無くなってはなかったけど、春休みの間に学生がたむろしないように閉めているっぽいです。相変わらずの寂れぐあいで懐かしかったです笑。そして、その近くにあった本屋が潰れているのを発見して少し落ち込みました。まじかー、って感じでした。大通り沿いで駐車場ないから確かに入りづらい場所ではあったけど、それなりに小綺麗なところだったんですけれども。ですけれども笑。夜には兄弟でモンハンしました。わりかし盛り上がりました。三寒四温ですね。暖かかったり寒かったり。牟礼はまだまだ寒いんですかね。○○○さんは春スキーとか行ってるんですかね。いかがお過ごしでしょうか。○○○さんに会いたいなーって思う日々です。なら連絡しろよって話ですけど笑。もう少し頑張れるようになってからです。今年は花粉が辛いです。髪の毛が花粉を遮ってくれてたんですかね笑。免疫力が弱まってるのかもしれません。やっぱり、運動ですね!走ろうかな。毎朝。それいいですね。

2021/04/08 ○○○さんおはようございます。え?走ったかって?今から走りますよ、うん。いや、まだ朝の6時ですよ。あー、ちょっと7時から講義あるから走る時間ないなー。いやー、講義がなければなー。いまもう6時だしなー。朝ごはんも大事だしなー。いや、ごめんなさい走る気力はないですけど朝散歩してきます笑。今日は、もすげ大橋まで歩きました。欄干から麓を見下ろすと、野球場がありました。そういえば、人生で一回も野球の試合を生で観たことがありません。というか、テレビであっても野球の試合を通して観たことはない気がします。別にそれだけなんですけれども笑。今日は、○○○さんの絵を描きました。○○○さんはこんなじゃないんだよなーってなってとてもお見せできる代物ではないものが爆誕しました。○○○さんの言葉を借りれば、「この世に残してはいけないものだと強く思いました!」って感じです笑。最近は、ともかく眠たいです。家で一人で勉強していると、ついつい眠くなってしまって一旦お昼寝してから勉強しようかなと思って寝てしまったりするんですが何だか最近いくら寝ても寝足りない感じがします。これ、絶対寝過ぎというかバイオリズムが乱れてますよね。よくないなー。やっぱり走った方が良さそうですね。適度な運動が必要だ!

2021/04/09 おはようございます。悪魔を観て起きました。でも、それほどまで嫌な悪夢でもなかったです。殺人鬼が次々と人々を殺していくんですが、その中の被害者のうちの1人が僕でした。何か、小さなライブハウスのような施設に友達と遊びに行っていたらそこで事件は起きました。私は慌てて外に飛び出したのですが、路上でお腹を銃で撃たれました。私はどういうわけかそれでは死なないなという確信があったのですが、死んでしまったフリをしていた方が助かると思いその場にうずくまっていました。所が殺人鬼はその後、僕の側のすぐ側に駐車してあった車に火をつけました。私は死んだフリをしていなければ、殺人鬼にトドメを刺されてしまいますが、動かなければ車の爆発に巻き込まれて死んでしまいます。どうしようと考えていると、殺人鬼が僕に向かってガソリンのようなものを撒きました。そして、彼は僕に向かって火を放ちました。そう、彼は初めから僕が死んだフリをしていることをわかっていたのです。メラメラと自分の身体が燃えていくのを感じながら僕は目覚めました。この夢のどこがそれほどまで嫌ではなかったかと言うと、僕はこれが夢であることを自覚していました。だから、それほどまで恐怖を感じてもいなかったのですが、それでも夢の中でも死ぬのは心地よくありません。そんな風にして目覚めてみると朝の4時でした。こんな夢を観た理由はわかっています。最近、自己肯定感がとても低いのです。いろいろなことが上手くいかず、何て自分は役立たずな人間なんだろうと自己嫌悪に陥ってしまっています。夢の中で自分を殺したのは自分でした。深層心理が、役立たずな自分をこの世から消したいと思ったのだと思います。人は何か責任とか罪悪感を抱えた時、返って人から責められた方が楽だったりしますよね。多分、そういうことなんだと思います。自分を守るために観た夢だったんだと思います。最近、胸がザワザワと不安なんです。感覚的には、夏休みの宿題をまったくやらずに学校に行くような気分です笑。そういう胸の嫌なモヤモヤ感がずっと拭えません。そういうことを抱く事は前からありました。それは実際、大学の課題が終わらなくなってる時にも抱きましたし、何回か遊んだ女の子が「もう会うの辞めましょう」って言い出して来そうだなと感じた時とかにも感じました。そういう時は今やるべきタスクを全て終わらせてしまうと意外とスッキリしたり、ゲームとかホッケーとか読書とか、好きなことに打ち込むとモヤモヤが飛んで行ったりします。でも、いまのザワザワ感は原因不明です。どうしたら、消えてくれるのかよくわかっていません。とりあえず、まだ朝5時半で、講義までしばらく時間があるので走ってみようと思います。3㎞ぐらい走りました。少し汗をかきました。いつもよりも調子が上がった気がします。やっぱり運動は良いものですね。午後には母親と少しバトミントンをしました。でも、風が強くて大変でした笑。○○○さんともバトミントンやりたいです!風のない日にJ公園にでも行ってバトミントンしましょう!あそこやっていいのかわからないけど笑。胸のザワザワはまだ収まりませんが、今日の哲学の授業で、ストア哲学というのを学ぶ中で少し視野が広がったような気がします。哲学を学ぶのは楽しいですが、コンセプトを掴むのが難しいです。自分の中で噛み砕いて理解できるようになったら、○○○さんに学んだ事お伝えしますね。唐突に、明日か明後日にでも飯縄山に登山に行くことにしました。家族を誘ってみたのですが、母親は他の予定があるらしく、次男はAさんが行けないから行かないと言っていて、父親と長男とRさんからは返事がありません。多分、誰も行かないので一人で行くことになると思います。ちゃんと皆んなのやる気を少しずつあげて、日取りを抑えればみんなで行けるかもしれないけど、僕が衝動で言っていることなので今回はそこまで頑張らなくていいかなと思っています。また、○○○さんとも登山行きたいです!だから、ちょっとは勉強しておきますね。

2021/04/10 昨日はキチンと21時に寝て、今日は朝4時起きです。ちゃんと8時間寝ようと思ったのですが7時間で自然と目が覚めてしまいました。7時間寝れば十分な気もしますが笑。朝起きてスマホを開いたら、LINEの通知が溜まっていました。ひとつはイツメンの5人組ライングループからで、もうひとつは兄弟ラインからでした。M家の家族LINEは3つあって、五兄妹と両親がいる7人のもの、両親の抜けた5人組のもの、三兄弟と嫁さんが入った5Mのものです。通知が来てたのは三つ目からでした。どちらの通知も内容は同じで「モンハンやろう」でした笑。友達の方は朝四時まで、兄弟の方は深夜2時までやっていたみたいです笑。いいなあと思いながら、とりあえず講義に臨みました。講義は順調です。今日も母親とバトミントンをしました。県立信濃美術館が本日リニューアルオープンだったので、行ってきました。プロジェクションマッピングとか屋上のひらけた空間とか綺麗で楽しかったです。スーパークローン文化財という名前の特別展示と東山魁夷の油絵を見てきました。善光寺の横で法隆寺の金堂釈迦三尊像のクローンを展示するのはどうなんだと思ったのですが、精巧に出来ていて威厳がありました。東山さんの作品といえば、白い馬シリーズの印象が強いですが、秋田の雪山を描いた大きなランドスケープがあって、僕はそれに目がつきました。○○○さんに「こんな景色でしたか?」って尋ねたくなりました笑。あと、樹氷の絵もありました!樹氷!って思ったら「霧氷の譜」というタイトルでした。樹氷と霧氷の違いは何だよと思ってググってみたけどよくわかりませんでした。霧氷は過冷却された霧粒が枝に凍りついたものらしいです。まあ、おんなじですね!夜には、幼稚園からの付き合いの友達と遊びました。っていっても駄弁りながらぶらぶら歩いただけでした笑。夜には駅前の「ぼっち」というお蕎麦屋さんでお蕎麦と山菜の天ぷらを食べました。めっちゃ美味かったです。そして歩きだから久しぶりに飲みました。2人して顔真っ赤にしててわらいました。友達に人生観とか今抱えてる不安とかを話してみたら、「いまりがそういう弱みというか不安を溢しているの初めて聞いたから話してくれて嬉しいよ」とかいう何の慰めにもなってないお言葉を頂きました笑。

2021/04/11 ○○○さん、こんばんは。今日は飯縄山に登山に行く予定だったのですが、父親に「まだ寒いから辞めとけ」と猛反対されたので、蓼科にあるテディベア博物館に行くことにしました。当たり前ながらテディベアが沢山ありました笑笑。カップルとか子連れのファミリーしかいない中、一人で20代後半の男性がカメラをバシャバシャしていたので完全に不審者でした。でも、意外と良かったです笑。三つの美術館の共通券があったので、隣にあるペネロペの原画展と、切り絵の美術館にも行きました。ペネロペの原画展はマジで一人で入るの恥ずかしかったですが、お金を払った以上、キッチリ観てきました。でも、油絵の原画って絵の具の凹凸までしっかり見えるから印刷物よりも質感が感じられて良いですよね。写真と生とだと受け取るものが違う気がします。って写真をバシャバシャ撮る男が語っています。ペネロペと切り絵の美術館は撮影禁止だったので、撮影は出来なかったので○○○さんにお見せすることはできないのですが、3番目に訪れた切り絵の美術館がとてもとても良かったです!!ぶっちゃけた話、とてつもなく過疎っていて、僕しかお客さんがいませんでした。美術館を全館独り占めしてるような気分で閲覧できました。そして、そこの藤城清治という人の作品がとてもとてもドリーミーで幻想的で素晴らしかったです。これは本当に僕の感性にビシビシと来るものがありました。思わず、画集が欲しいと本気で思ってお土産コーナーで買おうと思ったのですがクリアファイル、ポストカード、ジグソーパズルしかなくて、画集がありませんでした。でも、ジグソーパズルでもいいかと思ってパズルもポストカードを買いました。でも、お気に入りの作品がプリントされたものが無かったので画集を今、ネットで探しています笑。いやー、本当にここは良かったです。ぶっちゃけ、テディベアよりも遥かに僕の心が刺激されました。先日読んだ本で、小説家の人が小説家になりたい人は向けて「小説家になりたいなら、小説を書くことよりも、自分の中にある"これが好き"という感情を突き詰めてストックしておくことが大切」と言っていたのを思い出しました。僕は藤城さんの作品がとても好きだと感じました、そしてどこか懐かしくありました。今日はそんな風に、自分の心を刺激してもらえる有意義な日曜日を過ごせたと思います。沢山運転して疲れたので今日は早めに寝ます。おやすみなさい。

2021/04/12 ○○○さんに語るのは釈迦に説法だとは思いますが、シャーロックホームズの一作目のタイトルは「緋色の研究」らしいですね。緋色の弾丸はここにも引っ掛けたタイトルなんですかねとか、ニワカが言ってみます笑。今日はたくさん小説を書きました。ようやく10%書きました笑。とは言っても頭から順番に書いてるわけではなく思いついたところから最初に作ったプロットに書き込んでいるだけなので、文章量が10%ってだけなのですが笑。今週の金曜日に○○○さんに電話をしようと思っているので、それまでにどうにかしたいなと思っております笑。今日は図書館に行って本の返却と延長と拝借をしました。図書館の本って雑に読めるからいいですよね。雑に読むと言っても粗末に扱うという意味ではありません。どうしても買った本だと、お金を出した以上きっちり読まないとと思って、つまらないなと思っても多少の責任感を持って読んでしまいます。しかし、図書館の本なら、無料だしつまらないと思ったらすぐにやめて色んな本を次々と梯子をすることもできます。もちろん小説は走り読みしてもあまり楽しめませんが、知識本の類は読みたいところだけ読んで興味をそそられないところは後回しにするということができます。というわけで、もちろん本屋で本を買ってじっくり読んだり読み返したい時にいつでも本棚から取り出せることとか、友達とか○○○さんにおすすめして借したりすることもできるから、一概にどっちの方がいいとは言いませんが、どちらにも良い点がありますよね。たくさん読むと、たくさん書きたくなります。インプットが増えるとアウトプットが増えるような気がします。どんどんインプットしていこうと思います。

2021/04/13 ○○○さんこんにちは。今日は昨日図書館で借りてきたシャーロックホームズに関する本を読んでいます。(ちょっとツッコミどころのある言い方ですよね。そうです、シャーロックホームズの小説ではなく、シャーロックホームズに関する本です笑)それによると、ホームズが「全証拠なくして、因果関係なし」と語っています。これはホームズの理念のようなもので、まずは細部まで物事を観察して情報を調べ尽くしてから推理していかなければならないということみたいです。○○○さんは、コナンが好きですよね。僕はガリレオが好きです。コナンもガリレオも、大きくホームズの影響を受けているような気がします。コナンくんも異様なまでの観察力で最大限情報を集めてから推理を行おうとしますよね。ドラマ版と小説版ではガリレオの人物像は少し違うのですが、ドラマ版のガリレオの中で、なかなか自身の推理について教えてくれない湯川先生に対して薫が憤慨する場面があります。そして、湯川先生は「まだ仮説の段階だ。仮説は実証して初めて真実になる」と言います。これもよく似た思考のような気がします。細部にまで注意を払うってとても大事ですよね。○○○さんの友達がジグソーパズルをはまらない場所に無理やりはめこんだ話を思い出しました笑。僕も、何かの判断を下すとき、適当に今ある考えとか情報からすぐに答えを求めるのではなく、十分に情報を集めてから決断し、そしてやると決めたことには一直線に走っていけたらいいなと思っています。夕方にちょっと息抜きにと思って、先日美術館で買ってきたパズルをやりました。300ピースのパズルだったんですが、ちょっとのつもりがやりだしたらやめられなくて完成させちゃいました笑。

2021/04/14 ○○○さん、こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。現在夜の8時です。○○○さんに明後日に電話をすることに勝手に決めているのですが(○○○さんが出てくれてお話しする時間があれば)、明日の朝に統計学のテストがあるので今、頑張って復習中です。まあ、余裕ですけどね!数字には強いので!文字には弱いけど!そうなんです。文字には弱いんです。文字に弱いってなんだよ。いや、つまりですね、明後日までに小説を書き切るぞ!って思っていたのに全然書き終わっていません。いま20%ぐらいです。どうしたもんですかね。だから、ともかく統計学のテストをスーパーな感じ(?)で終わらせて小説執筆に戻ってやろうと思っているわけでござんす。よーし、今夜も頑張るぜぃ!今日はたくさん寝ました。たくさん寝たから元気です!!とりあえず、気合い入れるためにちょっとランニングしてこようかしら。そうですね、30分走って、15分でシャワー浴びて、そっから友達とちょっとお話しして、それからがんばります。いや、めっちゃ脱線しとるやんって感じですね笑。いや、今日は1日やってたんですよ!結構本読んでた時間もあったけどそれはそれでいいんです!過去は変えられない!変えられるのは未来だけです!最近、読書がすごい楽しいんですよ!小説のために色々読んでるんですけれども、やっぱり読書はいいですね。なんか、あんまり本のことをお伝えすると本のネタバレになりそうなので(別に盗作するつもりではないです)まだお伝えはできないのですが、○○○さんにあったら伝えたいことがたくさんあります。でも、実際にあったら緊張して頭が真っ白になって何を話せばいいのかわからなくなってしまうことが多いんですけれども笑。よし、じゃあ、ちょっくら走って頭をリセット、じゃないや、リフレッシュしてきます!

2021/04/15 ○○○さん、こんばんは。明日の夜に○○○さんに電話しようかなと思っています。今から緊張してます。ラインブロックとかされてたらどうしようとかしょうもないこと考えたたりしてます。今日は統計学のテストがありました。それが終わったので執筆を今日はがんばりました。今日は書いた文章量はそれほど多くないのですが、アイデアが爆発した日でした。アイデアは爆発したのですが、いかんせん毎日少しずつしか小説は書けませんね!笑。大学の勉強もあるので(言い訳)。最近は友達と毎日、モンハンしています。でも、偉いんですよ!褒めて欲しいんです!何をって感じですよね。友達とモンハンするとですね、楽しくなっちゃっていつも平気で5時間とか6時間とかやってしまうんですけど、最近は毎日コツコツやっております。21時から22時までときっかり決めてやっています笑。ゲームは1日1時間!ってやつです笑。僕は21時に通話ボタンをポチーってして欲しい22時に通話ボタンをブチっと切っているのですが、他の4人は21:30とかに入ってくる人もいるので、大体僕が最初に来て待っていて、最初に抜ける感じになります笑。他のメンバーが23時とか24時までやっていたのを翌朝に確認したりする日々です笑。いやー、今までは本当にやり出したら辞められない感じになっていたんですが、こうやってゲームとも健全にお付き合い出来る様になってきたなー、偉いなーと勝手に思っているわけです。褒めてください!笑。いや、大人なんだから当たり前でしょって言われてそう笑。最近はちゃんと朝に起きて軽い運動をして、ご飯をモリモリ食べて、夜にはきちんと寝るって人間らしい生活をしていたら、段々とバイオリズムが整ってきて、調子が良くなってきました。心身ともに健康ってやつです!これなら、○○○さんにもハッピーオーラをお届けできるんじゃないかなと!思っている次第です。明日、緋色の弾丸、公開日ですね!電話かけますね!楽しみ!おやすみなさい。

2021/04/16 ○○○さん、こんばんは。今日は電話かけたんですけれども、もう寝てらっしゃったのか出てもらえませんでした笑。今日は普通に勉強していました。とてつもなく普通に勉強していました笑。でも、コツコツ勉強するのが一番大切ですね。

2021/04/17 二日間、電話してもLINEしてもスルーされてようやく状況を理解をして、こちらからお別れラインを送った。途端に、向こうからも「さようなら」と返信がきた。

彼女からの最後のメッセージをコピペするわけにはいかないので、要約すれば、「一ヶ月間、あなたから連絡がない期間はとても心が軽くなっていて、あなたからの一方的な愛はストレスでした」といった感じか(ここまでトゲはないけれど)。僕が、今回のことで学んだのは、相手の言葉をそのまま受けれてはいけないということだ。まだ知り合ってまもない頃に、彼女が言ったことでよく覚えている発言がある。彼女は、大学時代から何年も付き合ってきた彼氏にプロポーズされたことを断った。その理由について尋ねてみたとき、彼女はこう言っていた。「30歳までは、結婚は考えてないってずっと伝えていたんです。それなのに突然彼がプロポーズしてきたんです。今までのそういう話し合いは何だったのかなって思いました。口に出して伝えたことが伝わってないじゃんって思いました」と。そういうことは往々にしてあるものだと思う。いわば、「いやよいやよも好きのうち」というやつだ。口では嫌だと言っていても本当はそうではないということは多々ある。彼氏もそれを期待して、彼女にプロポーズをしたのであろう。しかし、彼女はそうではないとはっきりと伝えてきた。なるほど、と僕は思った。そして、彼女は僕に「いまりさんを生理的に無理とかは全然ないです」「こちらが好きになった途端にカエル化現象が起こるのが怖い」「私の嫌なところ知ったら絶対にいまりさんは私を嫌いになる」などと言った耳障りの良い言葉を僕に与えてきた。僕はそれを言葉の通りに受け取っていた。なぜなら、彼女がそう僕に初めに忠告をしたからだ。今なら、あなたに言われなくてもわかる。そんなの"体のいい断り文句"であることぐらいは。僕は慎重に彼女の言葉を記憶して、彼女のことを想って、彼女の発言を順守した。しかし、要するにそういうところが重くてキモかったのだろう。そして、これをここまで読んだあなたもこれをこんなところに書くようなキモいことやってるから振られるんだろと思うだろう。それもそうだと僕でも思う。しかし、振られたときなんて誰でも自暴自棄になるものだ。でも、僕は最後まで彼女を傷つけるような言葉を放たなかったと思う。僕はひたすらに、一途で、相手思いで、キモかっただけだ。世の中は得てして、言われた通りに動いてもろくなことがない。言葉の裏の裏を読め、そして、相手の真意を理解してもそのことを伝えるな。わかっていないふりをしろ。そして、いいように騙され、相手に愛されろ。そういうことを学んだ半年間だった。そうそう、この文章の本題は、「人生で本当に大切なもの」についてだった。その答えは、そんなものはない。人はただ、与えられた選択肢をぼんやりと選んで生きているにすぎない。目の前のそれが、あなたの心を揺さぶる綺麗なものであったなら、あなたは幸せものだ。掴もうとしたそれが、煙のように消え去ってしまったのなら、諦めてゆらゆらと漂う白い線が宙に消えていくのを眺めているしかない。そうして、目の前が透き通ってきたら、また手を伸ばしてみるしかない。何度も何度も、あなたの手は空を切り裂いて、地面に倒れるだけかもしれない。それでも、何かを掴めるその日まで、あなたにはそれを続けるか諦めるかの選択肢しかない。さて、ここまで二万七千文字だ。おっも。ちなみに、意外と僕は元気です。単に少しだけ全部がどうでもよい気がして、人が転ぶのを見たいような気分なだけです。躁鬱で、そのうち跳ねっ返りで元気になると思うので、頑張って励ましてください。え、ほっといてくださいじゃないのかよって思いましたか。いやいや、言ったじゃないですか。僕は面倒臭いやつなんですよ。ほっとかれたいんじゃなくて慰めてほしいんです。まあ、大抵のことは3年後には笑い事ですからね、人間。2024年になってもまだこの子のことが忘れられなかったら、本物の愛ってやつですね。絶対に叶わないけど。それって、純愛じゃね。そうか、純愛ってキモいものなんだな。この文章をリブートして、「私の自称彼氏候補がキモい件」って小説かけそうだな。

擬人化

日本人は擬人化が好きらしい。何でも擬人化してしまう。動物はもちろん、お菓子、家具、空想上の生き物、乗り物、etc.

僕が小学生の頃、学校で詩を書く授業があった。

国語の教科書に「かまきり りゅうじ」というカマキリの書いた詩が載っていた。

そういったいくつかの詩を参考に各々がオリジナルの詩を作ることになった。

特に内容の指示があったわけではないが、僕はどういうわけかとあるものを題材にしていた。

捻くれ者の僕は、そこんじょそこらの物を擬人化はしなかった。

僕が擬人化したのは、建物と建物の間、空間だった。

その名も「あいだくん」

主人公の男の子が、とある建物の隙間である「あいだくん」に会いにいくというストーリーだった。

男の子は彼と一緒に昼寝をしたり、トカゲを捕まえたりして遊ぶのだ。

僕の頭の中には「あいだくん」と戯れる男の子(自分)のビジョンがあった。

友人や先生に見せると、面白い面白いと言われて好評で、僕は嬉しくなった。

「あいだくん」の続編を僕は次々と書いては友達にみせていた。

そして、月日は流れて、参観日、それぞれが作った詩を母親たちの前で読み上げることになった。

僕は意気揚々と「あいだくん」を披露した。

友達と先生があんなに褒めてくれたのだから、母親たちも絶賛するに違いなかった。

しかし、母親たちは僕の詩を聞いて爆笑しはじめた。

僕はふざけていたわけではない。

いたって真面目に詩を書いていた。

だから、途中から恥ずかしくなって、顔が真っ赤になった。

笑う母親たちの中で、自分の母親が一番大きな声で笑っているのをみて恨めしくおもった。

それ以来、「あいだくん」の続きが書かれることはなかった。

気持ちの分散

元カノの話をします。

別に僕は恋愛マスターでもないし、特別恋愛経験が豊富なわけでもありません。

でも、二人の対照的な方とお付き合いしたことがあるので、その話をしようと思います。

多分に主観的な話ですし、誇張表現なところもあるかもしれないので話半分に聞いてください。

一人目はNさんの話です。Nさんは彼氏ができると彼氏しか見えなくなるタイプでした。

毎日彼氏から連絡が来ないとダメで、彼氏が少しでも異性と遊んでいたら嫉妬してしまうタイプでした。

Nさんは共依存的な付き合い方をする方でした。

だから、彼氏には何でも話してしまうし、彼氏のことはなんでも知らないと気が済まない方でした。

反対に、Sさんはサバサバした人間関係を気づいていました。

恋人ができても、お互いに異性と遊んでもOKというスタンスでした。

Sさんは誰とでも仲が良かったけれど、特別、気の置けない友人というものがいませんでした。

だから、心の奥底のドロドロしたものを誰に共有していいのかわからない人でした。

人のココロは人に支えられるものだと思います。

Nさんの精神は彼氏という太い一本の柱で支えられていました。

だから、彼氏と噛み合わなかったりするとグラグラしてヒステリックになってしまいました。

Sさんの精神は沢山の細い柱で支えられていました。

だから、いつでも安定はしているけれど、いざという時、どこに頼っていいのかわからなくなっていました。

人は自分の心を誰かに預けて生きていると思います。

それは、言い換えるなら、信頼、友情、愛情、そういうものだと思います。

どちらの生き方が正解なんてものはないんだと思います。

どちらにもメリットもデメリットもあって、どちらにも喜びと苦悩があります。

人間関係は、極論ではないと思います。

感情は複合的です。

彼氏と彼氏でない人間、友達と友達でない人間、そんな風にキッパリとはカテゴライズできません。

友達のような、恋人のような、他人のような、ライバルのような、よくわからない関係、そういうのもあるんだと思います。

一番に信頼するべきは、自分。

自分という柱がある人間は、人からも頼られるし、健全に人に頼ることもできます。

あなたは誰にどんなふうにあなたの気持ちを分散していますか?

できっこないこと

こんばんは。

室賀いまりと言います。

今日は少し人生を振り返ってみようと思います。

僕が4才の頃、母親に連れられてスケートリンクへと行った。

僕がぼんやりとスケートリンクを眺めてると、目の前を4才年上の兄がアイスホッケーのスケート靴を履いて駆け抜けていった。

僕はそのスピードに憧れた。

すぐに母親に、「僕もスケートをやる!」と駄々をこねた。

スケート靴を履いて、ぴょこぴょこ歩く僕の背中を、母親と父親がかわるがわるに後ろから見守ってくれた。

気がついたら僕は小学生になり、同年代の誰よりも上手く滑ることができた。

クラブチームでキャプテンも務めることになって、嬉しかった。

あの頃、憧れた兄のようにスイスイと滑れることがただ嬉しかった。

僕が12才の頃、兄はアメリカの高校へ進学をした。

英語がペラペラに話せるわけでもないのに16才の男の子が一人でアメリカに行くなんてすごいと思った。

僕もいつかアメリカへ行きたいと思った。

でも、そんな大それたことが自分にできるとは思わなかった。

二月って英語で書けなかったし。

僕が17才の時、思春期の男の子らしく彼女が欲しいと思った。

でも、そんなものができるわけがないと思っていた。

バレンタインにチョコレートをもらったこともないし、顔だってイケメンでもなければ、優しくもないし、洋服もオシャレじゃないし、髪型もダサいし、別段運動や勉強が飛び抜けているわけでもなかった。

だから、ツイッターで「リア充爆発しろ」とか投稿していた。

でも、欲しくて欲しくてたまらなかった。

多分、女の子が好きだったんじゃなくて、単に彼女がいるというステータスが欲しかった。

だから、頑張って女の子に話しかけてみた。

初めはキモいキモいって拒否られた。

ワックスをコンビニで買って頭につけてみたりもした。

ただのベチョベチョのぺったんこ頭になった。

洋服も母親が買ってくるものとか兄のお下がりとかじゃなくて自分で買ってみたりした。

そうこうして暫くの時間が経ち、気づいたら女の子とメアドを交換したり、mixiで友達になったりしていた(時代を感じる)。

そして、18歳の時にようやく彼女ができた。

嬉しかった。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

以前は彼女なんてできるわけがないと思っていたけれど、ひとつひとつ、頑張ってみればできるもんなんだと自信になった。

僕が21才の時、バイクの免許を取ることにした。

友達にバイクの免許持っているよと伝えると、大概驚かれる。

別にそんなに大変でもないよと伝えると、「乗って見たい気もするけれど怖くて自分じゃあとてもできない」と言われる。

僕も実際そう思っていた。

両親は共にバイク乗りで、若い時は二人でツーリングに行ったりしていたらしい。

だからこそ、二人ともバイクの楽しさも危険さも知っているから、息子たちにはバイクは危ないよと伝えていた。

だから誰もバイクに乗ろうとは思わなかったらしい。

でも、父親が楽しそうにバイク整備をする様や、バイク乗りがエッセイでいかにバイクが車とは違った爽快さがあるかを語っているのを読んだりしたら、自分でも乗ってみたくなった。

実際にバイクに乗った感想は「最高」の二文字だった。

確かに車とはまるで違う。

なんと言い表したらいいのかわからないけれど、車は部屋ごと移動している感じで、バイクは自分が加速している感じと言ったらいいだろうか。

ともかく、バイクは楽しかった。

「バイクに乗ると人生が変わる」とか言っちゃう人の気持ちがわかった。

僕が22才の時、アメリカに留学に行くことになった。

英語も全然喋れないし、コミュ力が高いわけでもないけれど、ともかく海外で生活がしてみたかった。

そんなこと、自分なんかにできるものかとおもっていたけれど、やってみたら意外とできた。

初めはてんやわんやだったし、何度も言葉が通じなくて困って泣きそうにもなったし、独りぼっちで寂しくて日本に帰りたくなることもあったけど、無事に友達もできたし、授業も楽しめるようになった。

アイスホッケー、彼女、バイク、アメリカ留学。

なんだよそんなこと簡単にできるよって鼻で笑う人もいるかもしれない。

でも、これらのことは僕が思い返す限りで、僕にとってはとても大きな挑戦だった。

初めはそんなことできるわけがないと思っていた。

できるわけがないっていうのは、可能か不可能かって意味ではない。

やるかやらないかってことだ。

これらのこと、どれだって誰にでも"できる"ことだけど、じゃあ"やるか"となるかというとそうでもないと思う。

僕も同じだった。

そりゃ、やらなきゃ殺すぞって言われたらやるけれども、どっちでもいいよって言われたら「じゃあ怖いしいいや」ってなるなと思っていた。

人生ってそういうものばかりだと思う。

やればできる、でも、「じゃあやる?」って言われたら「いいです」って断ってしまう。

やる気になるっていう第一歩が一番大変なんだと思う。

今後の人生でも、今の僕が「そんなことできっこない」と思ってしまうことがたくさん出てくると思う。

そんな不安に襲われたときに、昔もそう思ったことを何度も覆してきたんだよと教えてあげたい。

そう思って、ここに記録しておきます。

この文章が僕以外の誰かも勇気づけられたら幸いです。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

七夕の願い

あれは確か僕がまだ幼稚園児だったころだと思う。

七夕の短冊に願いを書くことになった。

周りの子供たちは次々と自分の願い事を書き込んで笹に結びつけに行っていた。

僕は、薄い黄色の短冊と鉛筆を持って、ぐずぐずとしていた。

何を書き込めばいいのかわからなかった。

そばで見ていた父親に願い事って何?と尋ねた。

父親は「お前のしたいと思うことだよ」と教えてくれた。

しかし、わからなかった。僕が何をしたいのか。

いつまでも書き始めない僕に「アイスホッケーが好きだから、NHL選手になるというのはどう?」と聞かれた。

National Hockey League、アメリカとカナダを跨いで行われている世界最高峰のアイスホッケーのリーグだ。

当時の僕にはどれだけ高い壁だったのかすらわかっていなかった。

だから僕は言われるがままにその通りに書いた。

父親がその短冊を受け取り、笹に結んでくれた。

自分の目で改めて、たくさんの願い事の短冊で飾り付けられた笹を見る。

誰しもが、大きな字で力強く自分の願い事を書いていた。

その中にポツンと、弱々しい小さな字で

「NHLせんしゅになりますように」

と書いてある自分の願い事があった。

今でもそのときの文字は覚えている。

自分では一生懸命書いたつもりだったけれど、並べて見てみると自分の願い事が見窄らしいものに見えた。

僕は本当はNHL選手になりたいとは思っていなかった。

しかし、他の願い事があったわけでもなかった。

ただ、言われるがままにしているのが楽だった。

今なら、なんて書くのだろうか。七夕の願い。

そんなことを突然考えた2月の終わりでした。

「やりたいことをやって生きていく」とかいうアレ

※今回は口が悪いです

「好きなことで、生きていく」とかいうYouTubeのキャッチフレーズ的なアレありますよね。

あれ、個人的に胸糞悪いくらい嫌いです。

そういえば僕のサークルの先輩も某大手IT企業を入社して一年とかで退社してYouTuberになったなと思い出しました。

普通に会社からしたら傍迷惑な話で笑える。

別に、好きなことで飯を食っていくことを否定したいわけではありません。

実際、それが出来たら幸せそうですよね。毎日やりたいことだけやって生きていく。

でも、そうでもないんじゃないかなあとも思います。僕はエイワって会社のマシュマロが好きですけど、毎日そればっかり食べてたら飽きるし。

ってか、太るわ。ミシュランマンになるわ。

ああ、それで、そういうユーチューバー的な発想の何が嫌いかって話なんですけれど、きゃつらは「俺たち私たちは、こんなに好きなことだけやって楽しく生きてるよ!君はどうしてそんなに好きでもないことを一生懸命やっているんだい?君も僕らみたいに好きなことで生きていこうぜ!」的なことを主張してくるじゃないですか。

要するに、幸福度に関して、一般的な職業を持つ人に対して上から目線なんですよね。

俺たちの方が幸せだろアピールが凄い。

そりゃもちろん、社会に出て会社に勤めれば、理不尽なこともあるし、ストレスを抱えることもあると思う。(僕は未だに学生でバイトぐらいしかしたことないからただの憶測)

ただ、それがイコール幸せではないみたいな見下しがキモいなと思うわけです。

誰だって辛いことと楽しいことが絡み合って構成されるのが人生でしょ。価値観は人それぞれでしょって話。

再生数だの登録者だの炎上案件だのに毎日振り回されて、「(自分が)好きなことで、生きていく」とか謳っておきながら、実際はネットでクリックされなきゃいけないから他人の興味を惹きそうなことを必死になって考えて「(他人の)好きなことで、生きていく」状態になっている人が、「君も(他人の)好きなことで生きていこうぜ」って言ってるのが皮肉効いてて笑える。

そういう新興宗教の信者みたいなのは全員ハリセンでぶん殴ってやりたいです。

YouTubeに限らず、Twitterでも、ブログでも、Instagramでも、TikTokでも、そういう不特定多数の人に構ってもらいたいって病気に陥っている人は、周りに気の置けない友達いないのかなと。

と、盛大に悪口書きまくりましたけど、好きな面もあるし、SNSは普通に見ますし、一部の輩をディスっただけなのでご勘弁を。

思いやりは遠くではなく近くへ

やあやあ、こんにちは。

三浦春馬さんに続いて、竹内結子さんの自殺が報道されました。

自殺って悲しいね。なんだか、今、世間がギスギスして重苦しい感じがする。

コロナの件でさ、なんだか猜疑心とか嫌悪感っていうのが蔓延しているような。

例えば、どのお店に行っても、店員さんはマスクしてて表情がよくわからないのもあって、なんだか刺々しい人が増えたような気がする。

これは、他人に対する嫌悪感が増したせいだと思う。

例えば、コロナ以前でも、咳をしながら歩いている人がいたらちょっと嫌だなあって思うよね。

それと同じような感情を、いまや知らない人全員に抱いてしまうようになってしまったような気がする。

つまり、表を歩く人は誰がコロナかわからないから極力誰とも関わりたくないみたいな精神。

まあ、政府がソーシャルディスタンスを保てってガイドラインを出してるんだからそれが"正しい"行動なのかもしれないけれど。

でも、三密を避けろとかソーシャルディスタンスを保てっていうのは、相手にトゲトゲしく当たれとか他人と仲良くするなって意味ではないよね。

あなたは最近、赤の他人と会話しましたか?

赤の他人との挨拶とかほんの少しの会話って実はすごく意味のあるものだと思う。

今は、テラスハウスの件もあって、「ネットだからって誹謗中傷していいわけではない」って風潮が少しずつ広まってきている。

でも、僕はそれよりもずっとずっと大切なことがあると思う。

それは、身近な人に優しくすること。

家族や友達、すれ違う人、店員さん、お客さん、etc.

今の自分のそばにいる人に優しくできていますか?

はっきり言って、僕たちが竹内結子にできたことなんてないと思う。

世間にも嫌われてないしネットでも叩かれてなかったしどうして輝かしい女優さんが自殺なんて?という人もいるけれど、僕はそうは思わない。

家族や友人と腹割って話すことができて、辛いことは辛いと言える関係があれば、ネットで叩かれても関係ないと思う。

ネットで遠くの人への思いやりをするのは大切だけど、周りの人に優しくするのはもっと大切。

遠くの誰かとか不特定多数のご機嫌を伺うよりも、目の前の誰かに愛を注いであげてください。

と、偉そうに語ってみたりするのでした。

まあ、とりま一緒にスマブラでもしようぜ笑。

オトコエシ

僕は考えている。

コンビニで朝ごはんを買った帰り道のことだ。

僕は目覚めたままのスウェット姿でコンビニでパンと野菜ジュースを買ってきた。時刻は朝5時49分。秋の朝は涼しい。

とぼとぼと家へと戻っていると、電柱の脇に雑草がニョキニョキと生えていた。

そして、僕はなんとなしにその雑草を引き抜こうとした。

それが正しい行動のような気がしたからだ。

小さい頃、母によく「相手の気持ちになって考えなさい」と言われた。

だから、僕は雑草の気持ちになって考えた。

この雑草の親の種子が空気によって無数にばらまかれた。

その多くはコンクリートの上に落ちて発芽することはなかったかもしれない。

そのいずれかは空き地に辿り着き豊富な土壌でむくむくと育ったかもしれない。

しかし、この雑草はたまたま電柱横の小さな隙間に溜まった雨水や土なのか埃なのかわからないようなものの中で運良く育ってきたのだ。

そしてこの雑草は30センチほどの高さにまで成長した。

僕たち人間にとって、見慣れた雑草とはいくらでも生えている珍しくもないものだ。

しかし、一つの雑草に集中して考えてみれば、この雑草も尊いものかもしれない。

いや、そもそも雑草という名前の植物はない。単に名前を判別できないありふれた植物の総称を雑草と一括りにするだけだ。

この雑草の名前はオトコエシという。

僕がスペルマだったころ何億というライバルたちとのレースで一着を取ったような奇跡が、このオトコエシにも起こっているのだ。

だから、オトコエシを引き抜く行為は果たして正しいのだろうか。

いや待てよ、しかし相手の気持ちになって考えるということは何も雑草に限ったことではないような気もしてきた。

僕は電柱の気持ちについても考えてみた。

電柱からすれば、自分の脇に勝手に種子が侵入してきたと思ったらニョキニョキと根を伸ばして、くすぐったくてたまらないかもしれない。

パンツの中に入ってきた蟷螂虫ぐらい不快かもしれない。

だから、電柱の気持ちになって考えてみれば、引っこ抜くのが正解かもしれない。

そして、僕は再度考えた。

いや待てよ、電柱の気持ちってなんだ?そんなものが本当に存在するのだろうか。

それは、証明できることはない。

他人の気持ちとはどうやっても測り知ることはできないのだ。

だから僕は、自分の気持ちに正直であることが最も重要であると考えた。

相手の気持ちを考えることも大切だ。

しかし、その推論を証明することはできない。

だから、相手の気持ちというのを考えた上で、自分が正しいと思う行動を起こすしかないのだ。

結局のところ、人生とは、自分がやりたいようにするしかないのだ。

僕は決断することにした。

僕は電柱を引っこ抜いて帰った。