気持ちを書くブログ

写真撮影、コンピュータが好きです。あと本とゲーム。落語も好き。おしゃべりも好き。

壁にぶつかった日

始めに

どうもこんにちは、ねおらるです。

さて、みなさん、元気でやっておりますでしょうか?

僕はあまり元気ではないです。

いや、元気っちゃ元気なんですけれど、どこかやりきれないような、エネルギーが発散されていないような、イライラが募っているような、そんな気分です。

コロナ騒ぎのせいかもしれません。

今日は、先日書いた文章をあげてみようと思います。

読んだ人が少しでも元気をもらえたらと思い書きました。

お時間あれば、続きをどうぞ。

本文

僕はアメリカの大学に留学している。

久しぶりに、同じく日本人の留学生と電話をした。

彼女とは同じ短大で知り合い、今はそれぞれが別々の大学への編入した。二人で話しているうちに、こんな話題になった。

それは「英語が苦手」という話。

僕は留学を始めてもうすぐ三年、彼女は四年になる。

「3年間留学をした人」を思い浮かべてほしい。

どんなに英語がペラペラだろうかと。

実際、大したことはない。

相変わらずスタバの注文ではテンパるし、Rの発音はできないし、自分でも明らかに間違いだとすぐ気づくような文法ミスで話してしまうし、ネイティブ達の会話には混ざれない。

一対一でのやりとりで、丁寧に発音してもらってようやく意思疎通が取れる。

3年間を費やして、このざまである。

正直に言って、全身全霊をかけて留学生活を過ごしてきたとはいえない。

それでも、僕なりにやってきたつもりである。

留学を始める前と比べたら、英語力は格段にあがった。

特にリスニング能力は目覚ましい。

大学の講義を英語で理解することができる。

友達も少ないながらも作れたし、大学の成績だって上場だった。

「すごくない?ちょっと褒めてくれてもよくない?」などと溢してみたい。

しかしながら、苦手な話題、モゴモゴ話す人、早口の人、スラング多用しまくる人、などには未だ苦戦してしまう。

やっぱり、ペラペラにはなれなかった。

留学を始める前に思い浮かべていたそれにはほど遠い。

さて、ここからが本題。

これは、英語に限った話ではなく、どんな物事の成長曲線も、一次関数とか指数関数みたいには伸びてくれない。

実際は対数関数のようなグラフだ。

始めはグングン成長するが、ある程度上達していくと、飽和していく。

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これは誰にでもあって、そして、人それぞれ振れ幅が違う。

すぐに飽和してしまう人もいれば、大きく成長してから飽和してしまう人もいる。

僕の英語力の飽和点は、さっきあげたようなレベルだったのだろう。

留学当初は四苦八苦していた。

不慣れなことにたくさん挑戦して、多くの恥をかいた。

でも、今は楽に生きる術を覚えてしまった。

いまある英語力で不自由なく生活できるようになってしまった。

(え、Rの発音ができなくてアメリカで生活できんの?って思いますか?意外とできます。)

他にもくだらない例を挙げれば、友人とゲームで遊んでいる時にも同じようなことを感じた。スマブラで、初心者の友人と遊んでいると、何気なく遊んでるだけなのに、ぐんぐん友達は上手くなっていく。

しかし、ある程度までくるとピタリと成長が止まる。

何度遊んでも強さが変わらなくなってくる。

無意識による学習の限界がくる。

スポーツでもそうだった。

僕はアイスホッケーを4歳の頃に始めて、25歳の今までずっと続けてきた。

最初の2、3年はみんなグングン成長する。

自由自在に滑れるようになってくるし、ハンドリングやシュートの精度もあがっていく。

でも、ある日、飽和点へと辿り着く。

ある一定の実力へと達すると、成長が止まってしまう。

それでは、この成長曲線の飽和点の高いことを才能と呼ぶのだろうか。

いくら時間を割いても飽和点に達したら成長できないのだろうか。

飽和点に達して、ずっとそのままの人もいる。

しかし、そうでもない人もいる。

壁を破れる人。

ガムシャラに頑張っても、仕方がないことが世の中には多々ある。

ただ、「努力をする」、「時間を割く」では、乗り越えられない壁。

そんな時は、今の自分を省みる目が必要だ。

飽和点に達した人間は、その行為を大抵、無意識で行なっている。

それは、車の運転に慣れた人間がほとんど何も考えずに運転するのと似ている。

ゲームでも、語学でも、スポーツでも、なんでもそうだ。

友人がゲームの飽和点に達した時、僕は彼が考えていなさそうな概念やテクニックを伝える。

そうすると、新しいことを考えなくてはならず、一時的に弱くなるが、また段々と成長していく。

そうしているうちに先ほどの飽和点を超えて成長している。

スポーツでは、コーチや監督が変な癖を矯正してくれる。

語学でも、伝われば何でも良いという自分本位の話し方から、自分を客観的な目でみて、成長をしようとしなければ成長しなくなる。出川イングリッシュで止まってしまう。

飽和点の高い人を才能があると呼ぶのか、それとも何度も壁を破れる強さを才能と呼ぶのか僕にはわからない。

でも、きっと後者だ。

一見、順調にグングンとトップレベルまでたどり着いたように見える人でも、何度も何度も壁に打つかっているはずだ。

その度に乗り越えてきた。

またそのうちに壁にあたる。

それも冷静に自分を考察していけば乗り越えていける。

さらに先へと進んでいける。

そして、成長を続ける人は、今もどうしたらその壁を乗り越えられるか考え続けている。

だから、先ほどのグラフの続きはこうだ。

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自分の英語力、まだまだ発音は汚いし、単語力も甘い、言い回しはワンパターン、苦手な訛りには弱いとか、問題は山積みだけど、それでもコツコツやっていこうと思う。

壁を破るには、今までの型を破っていかなくてはならない。

それは、すごく辛いことだ。

変化をつけるということは、自分が良い方に変わらなくてはならない。

一人では、できないかもしれない。

背中を押してくれる友人。

相談できる親、先輩、同僚。

それらがいるならば、もっと上を目指していける。

コロナで嫌になってしまうことも多いけれど、それでも、学べることはたくさんある。

楽しめることはたくさんある。

学習で一番大切なのは、前向きなことだ。

自分はこんなもんだと諦めるのをやめよう。

自分の才能に区切りをつけるのをやめよう。

思考を止めるな。

壁を壊そう。